鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<435>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<435>
2017年4月16日「もとの場所へと導かれ」



聖書の言葉
天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」
(マタイによる福音書28章5-7節)



2017年のイースターは4月16日であった。クリスマスは12月25日に定められているが、イースターペンテコステは毎年異なる日となっている。どのように定められるのか。「春分のあとの満月の次に来る日曜日」であるという。今年は、満月は比較的遅かったので、4月16日になったのであろう。もっとも早い年で3月22日以降、またおそくとも4月25日までにその年の復活祭を行うことになっている。六浦谷間の集会もイースター礼拝をささげる。知人が出席予定であったが来られなくなり、今年は家族でイースターのお祝いをする。知人が来られれば10名にもなるが、5名の出席である。
つらつらイースター礼拝を振り返ってみる。2010年3月に大塚平安教会を退任する。4月からは横浜本牧教会の代務者を務めることになる。4月の最初の礼拝がイースターであった。礼拝後は就任歓迎会、イースターのお祝いが開かれる。祝会が終わるや、墓前礼拝に出かけたのであった。なんとなくイースターの喜びを忘れてしまうような一日でもあった。横浜本牧教会は9月までであり、10月からは無任所牧師になり、11月からは六浦谷間の集会としての礼拝を始めるのである。従って、2011年のイースターは六浦谷間の集会としてささげるのであるが、2011年4月、5月はスペイン・バルセロナに赴くことになった。娘がバルセロナでピアノの演奏活動をしているからである。かねてよりバルセロナ行きが望まれていたが、現役中は行くことができなかったのである。無任所牧師になり、自由でもあるのでバルセロナ行を決行したのである。従って、棕櫚の主日、復活祭はバルセロナで迎えたのである。バルセロナカトリック教会で棕櫚の主日を体験し、いろいろと考えさせられたことについては、すでに報告している。イースター礼拝を経験するが、日本のように特別なイベントはなかったようである。2012年の六浦谷間の集会として初めてのイースターは、羊子が帰国中であり家族でささげる。2013年は3月から6月までマレーシア・クアラルンプール日本語集会のボランティア牧師として赴くことになる。マレーシアでイースターをお祝いしたのであるが、聖歌隊の聖歌、礼拝後の祝会等でイースターを迎えたのであった。2014年のイースターは家族で礼拝をささげる。そして、2015年は知人が出席はされたので9名でお祝いする。2016年は家族もそれぞれ都合があり、夫婦二人で礼拝をささげる。そして2017年の今年は家族でイースターをお祝いしたのであった。
六浦谷間の集会のクリスマス礼拝にも知人の皆さんが出席される。2016年のクリスマスには知人が出席され、実に11名の皆さんと共にお祝いしたのであった。クリスマス、イースターに知人かの皆さんが出席されること、なかなか教会には出席しにくい皆さんが六浦谷間の集会に出席されるのである。なるべくなら関係する教会に出席して欲しいと思っている。だからあまりお誘いしないのであるが。
イースターで張り切るのは連れ合いのスミさんである。イースターエッグを作る楽しみがある。毎年、六浦谷間の集会としてのイースターエッグを用意している。茹で卵をカラーのセロファンで包み、特製のカードを付けるのである。大塚平安教会時代のイースターエッグ作りを踏襲している。大塚平安教会時代の頃は、150個のイースターエッグの用意をしていた。イースターの前日、教会学校の先生や教会員の有志の皆さんと共につくること、良いお交わりでもあり、イースターへの信仰が深められていたのである。今はそんなに作らない。多くても20個、今年は10個のイースターエッグであった。それでもイースターの準備としてのイースエッグ作りは、大きな喜びなのである。小さな業であるが、現役時代のように、奉仕の場が与えられていること、誠に喜びである。そう、この場がガリラヤなのだから。



大塚平安教会時代、たくさんのイースターエッグを用意する。



イースターエッグを作るスミさん。



今年のイースターエッグ



カードは六浦谷間の集会特製である。