鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<434>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<434>
2017年4月8日「そして、いつものように」



聖書の言葉
わたしを強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝します。この方が、わたしを忠実な者と見なして務めに就かせてくださったからです。
(テモテへの手紙<一>1章12節)



今は桜が満開になり、道を歩いても、お花見を喜びつつ歩いている。先日、4月5日はオリブ工房の聖書の集いであった。昨年10月から再び関わるようになったが、寒くなっていくこともあり、車で行き来していた。オリブ工房は2010年4月から9月までの半年間であるが、職員の皆さんと聖書の集いをしている。その時は毎回歩いて行き来したものである。気候も暖かく、散歩のつもりで歩いていたのである。今回も暖かくなったこともあり歩いて行ったのである。約30分歩くが、歩いて行ったことは正解であった。本牧の道路の両側には桜が植えられており、それらの桜が、今は満開になっている。桜のトンネルを歩く様で、わざわざお花見に行かなくても、十分満喫できる。もっともお花見は、桜の木の下で敷物に座り、みんなでおしゃべりをしながら、美味しいものを食べることが目的でもある。「花より団子」の方が中心でもある。大塚平安教会在任の頃、すぐ近くに桜並木があった。開花の頃は、子どもたちとお花見に行ったものである。しかし、子どもたちに声をかけてお花見に出かけるのであるが、子どもたちは桜のトンネルを一目散に駆けていく。そして、ヤキトリ屋さんの前で私達を待っているのである。お花見の後はヤキトリ屋さんに寄るのが常であったからである。
3月中旬くらいから風邪を引き、しかし、だからと言って寝てもいられない。インフルエンザではないので、咳をしながらも幼稚園の執務に出かけていた。園長としての仕事があるからである。また、反対に、もう何ともないのに、一応病気として休まなければならないこともある。昔、大腸ポリープの手術を行う。お医者さんの指示に従い、三日の入院であるので、すべて段取りをして臨んだのである。今は、手術は簡単でカテーテルですぐに切除してしまうのである。三日の入院であるが、翌日には、お医者さんか退院しても良いというのである。しかし、今ここで帰ったら、段取りしておいたことが無になる。その日の夜は祈祷会でもある。そこで、お医者さんにお願いして、予定通り三日間入院することにしたのである。もはや快復しているのに、病院のベッドにいるのも、落ち着かないものである。どんな状況でも、職務に向かうのであるが、臨機応変も必要でもある。
バルセロナの羊子が、2月12日に男の子が与えられ、日々成長の記録写真を送ってくれている。その中にも、羊子がそれぞれの教会で奏楽奉仕をしている写真まで送られている。一つは、サグラダ・ファミリア教会にて奏楽奉仕をしている。2014年10月に、羊子はこの教会でスペイン人と結婚式を挙げている。その結婚式の司式には神父さんと共に、私も司式をさせていただいたことについては、以前のブログで報告している。結婚式をする前からこの教会のミサの奏楽奉仕をしているのである。生まれた「義也君」を抱っこしながら奏楽をしているのである。さらにもう一つのバロキアの教会でも奏楽奉仕をしている。こちらはピアノの横に乳母車を置いての奉仕である。バルセロナに滞在しているときは、私達も一緒にこちらのミサに出席している。
自分の状況がどのようであろうとも、与えられている職務に向かうこと、祝福の歩みであろう。日々、いろいろな歩みをしているが、「そして、いつものように」歩むこと、感謝しつつ歩みたい。いつものように見つめていた我が家の桃の木、今が満開になっている。この時、皆さんをお招きしたいと思っていたが、何かと向かわなければならないこともあり、今回は連れ合いのスミさんと日々鑑賞しているのである。せめて、このブログでお花見をしていただきたい。



サグラダ・ファミリア教会にて、義也君を抱っこしながら奏楽奉仕。



パロキアの教会で、奏楽奉仕をする羊子。



桃の開花日記。4月7日はもはや満開に。



毎日、夫婦で鑑賞している。
皆さんをお招きしたかったのであるが…。