鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<418>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<418>
2016年8月9日「もう少し働けと…」



聖書の言葉
神は言われる。終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。主の名を呼び求める者は皆、すくわれる。
使徒言行録2章17-21節)



8月8日、日本の天皇陛下が「お言葉」を述べられるということで、午後3時にはテレビの前に座る。約11分間のコメントであったが、考えさせられる「お言葉」であったと思う。天皇は80歳を過ぎ、象徴としての天皇の職務を司れなくなりつつあることを率直に述べていた。そして、老いゆく天皇の職務を軽減するのではなく、象徴天皇としての職務を全うできる存在が必要であると述べている。生前退位という言葉は使わなくても、その必要があることを示しているのである。今後、いろいろと議論されることであるが、生前退位を認めてあげることが大切であると思っている。
年齢を増せば、それなりに働きも衰えてくる。私も大塚平安教会牧師、ドレーパー記念幼稚園園長を退任したときは70歳であった。その年齢で退任することは、目標でもあった。ところが退任することになったのを見込んで、代務者に就任する要請をもらうことになる。横浜本牧教会の代務者となり、早苗幼稚園の園長に就任したのである。しかし、その務めは4月からであり、9月末には終了するのである。10月からは後任の牧師、園長が就任するからである。まさに10月からは無任所牧師として、のんびりと過ごすようになる。当初は私の出身教会である清水ヶ丘教会に出席したり、連れ合いのスミさんの出身教会である高輪教会に出席したりしていた。そして10月には大塚平安教会にしても横浜本牧教会にしても新しい牧師の就任式がおこなわれたので、礼拝から出席したのであった。だから本当に「退任」の実感を持つ様になるのは11月からである。さて、これからはどこの教会に出席しようかと思案している。そして、導かれたことは、「六浦谷間の集会」として礼拝をささげることであった。そして2010年11月28日に第一回の礼拝をささげたのであった。自宅で、夫婦で礼拝を捧げるようになったのは、もともと礼拝説教は毎週作成されており、その説教をブログで公開していることもあり、そして牧師と信徒がいるのであるから礼拝をささげられるということである。
この六浦谷間の集会での礼拝は先日の2016年8月7日で172回目になる。今日までバルセロナに滞在すること三回、合わせて六ヶ月、クアラルンプールに滞在すること三ヶ月であり、その間はお休みとしている。しかし、バルセロナでも礼拝はささげている。そして横須賀上町教会には月一回赴き、礼拝説教と聖餐式を担当する。更に三崎教会には隔月であるが礼拝説教に招かれている。
70歳になったら退任し、ゆっくりしながら余生を過ごすことになっていたが、なかなかゆっくりもしていられない。いまだに「神の庭・サンフォーレ」を支える会の委員長を担い、シルバさん家族を支援する会の代表者にもなっている。7月をもって横須賀上町教会の礼拝のお手伝いは終了したが、8月21日には野毛山教会の礼拝説教に招かれている。現役を退任したからバルセロナやマレーシアに赴くことになったが、それでもまだ御用が与えられることには感謝している。この10月からは某幼稚園の園長に就任することになっている。その職務は一時的であったとしても、「生前退位」はできないでいる。神様が用いてくださっていると受け止めているのであるが。



スリランカ人のシルバさん家族を支援する会、代表者を今も担っている。



六浦谷間の集会として礼拝をささげている。



バルセロナカトリック教会で奨励を行ったり…。



バナナの魚に噛まれて喜び、生前退位は先のよう。