鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<412>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<412>
2016年6月16日「愛と恵みを刻まれる」



聖書の言葉
主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これはあなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲むたびに、わたしを記念としてこのように行いなさい」と言われました。
(コリントの信徒への手紙<一>11章23-25節)



毎月第二日曜日は横須賀上町教会の礼拝に招かれている。礼拝説教を担当し、聖餐式を執行するためである。横須賀上町教会には2010年11月から、月に一回の礼拝説教で赴くようになった。そして2012年4月からは説教と共に聖餐式をも担当するようになったのである。就任した牧者は補教師であり、聖餐式の執行ができないからである。しかし、今年の6月の神奈川教区総会で按手礼を受領するので、牧師となり聖礼典(洗礼式、聖餐式)の執行ができるようになったのである。それで6月12日の礼拝にて聖餐式執行を最後に横須賀上町教会の応援は終わりになると思っていた。しかし、教会は聖餐式の執行はなくても、今まで通り、説教は担当してもらいたいと言われる。老牧師を励ます意味もあるのであろうが、他に予定もないのでお受けすることにしたのである。この6月をもって聖餐式の執行ができなくなると思うと、牧者として、なんとなく寂しさもある。そうは言うものの六浦谷間の集会としての礼拝をささげているので、これからはこの集会で聖餐式を執行することになるだろう。
聖餐式は主イエス・キリストが「愛と恵みとをわたしたちの心に刻みつけるために、主は聖餐を制定されました」と式文に記されている。十字架にお架りになる前、お弟子さんたちと最後の晩餐をいただく。その時、パンをお弟子さんたちに与え、「わたしのからだ」であると示された。その後、杯をまわし、「わたしの血である」と示された。これが聖餐式であり、教会は今でもイエス様の御体をいただいて「愛と恵み」を刻まれているのである。
私が最初に聖餐式を執行したのは宮城県にある陸前古川教会である。最初の教会は東京の青山教会であり、当初は伝道師であったが、その後は正教師になる。しかし、聖餐式は主任牧師が執行していたのである。初めて聖餐式を執行したときの思い出は、ほとんど記憶にない。牧師としての使命が深まったことは確かであるが…。宮城県の教会は6年半の在任であり、その後は神奈川県の大塚平安教会に赴任する。1979年9月からであるが、翌年の湘北地区新年合同礼拝は大塚平安教会で行われ、私が説教と聖餐式を担当したのである。地区の決まりで新任の牧師が担当するということで…。その聖餐式で配餐を担当されたのが相模原教会の伊藤忠利先生であった。この伊藤忠利先生の聖餐式に向かう姿に深く示され、以後聖餐式に対する取り組みが変えられたのである。先生は会衆の皆さんに配餐をされ、最後にご自分が聖餐をいただいたのであるが、パンにしても杯にしても、その場にひざまずき、おしいただいて聖餐に与ったのであった。私は聖餐式に関わる基本を教えられたと思っているのである。
聖餐式において忘れられない思い出を幾つか記しておこう。一つは横浜本牧教会代務者時代である。聖餐式が執行され、会衆に配餐をされて戻ってきた役員さんが持つ器にはパンが一つしか残っていなかった。そこで、奏楽者には配餐していることを確認し、配餐者二人と牧師のパンであるが、一つの小さいパンを、更に三つに分けたのである。本当にちいさくなったパンであるが、これもイエス様の御体なのである。会衆の中には、一つしかないパンであり、はらはらしながら見つめていたと言われる。「さすがですね」と言われたものである。もう一つの聖餐式の思い出は、スペイン・バルセロナにあるカトリック教会での聖餐式である。2014年10月から二ヶ月半に渡りバルセロナに滞在する。娘の羊子がピアノの演奏活動をしているからである。12月のクリスマスとなり、羊子は知り合いの神父さんのカトリック教会におけるミサの奏楽を依頼されていた。当然私達夫婦も羊子と共にミサに出席したのである。すると、ミサが始まる前に、神父さんが私もミサの司式を担当してもらいたいと言われたのである。プロテスタントの牧師が、カトリック教会のミサを担当する、前代未聞であるが、乞われるままに引受けたのであった。司式と共に奨励も依頼される。羊子にスマートフォンにより聖句を検索してもらう。イザヤ書9章5節の言葉があったので、その聖書を読み、奨励を行ったのである。その後、羊子が聖書と奨励をスペイン語に訳し、会衆の皆さんに理解してもらったのである。カトリック教会のミサは必ず聖餐式が執行される。神父さんが司式をするが、私もまた司式を行ったのである。神父さんが会衆の皆さんにパンを渡すと、会衆の皆さんは、そのパンを私が持っている杯のぶどう酒に浸していただくのである。後に、その神父さんが言われたのであるが、当日の会衆の皆さんはとても喜んでいたということである。ありがたいお言葉をいただいたと思っている。カトリック教会のミサの司式を行い、聖餐式まで担当したこと、思い出に残る経験である。日本の教会では聖餐式の担当がなくなったので、バルセロナに行こうかな、なんて思っている。



横須賀上町教会の礼拝案内



横須賀上町教会における最後の聖餐式



日本語での聖書朗読、奨励を羊子がスペイン語に訳す。



カトリック教会のミサで、神父さんと共に聖餐式を担当する。