鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<411>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<411>
2016年6月6日「十字架草から示されつつ」



聖書の言葉
兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。
(コリントの信徒への手紙<一>2章1-2節)



今年は、関東甲信越地方も6月5日には梅雨入りとなったとか。雨の日は何かと不便であるが、それでもこの梅雨の季節がないと草花のお恵みがなくなってしまう。一方、地震により災害のあった皆さんにとっては、雨降りは大変なのである。大雨にならないことを願っているのである。ところで、この時期は紫陽花の楽しみがあるが、あまり目立たない花も盛りとなっている。おそらく、盛んに咲いている花であるが、人々の関心にはならないのが、この花でもある。比較的、日蔭で、じめじめしたような場所に咲く花である。咲いても関心が寄せられないし、ましてや花瓶に飾っておくようなことは誰もしない花なのである。私は、ある時からこの花に関心を寄せるようになっている。我が家でも物置付近にはたくさん咲くようになっている。
そもそも、この植物を「どくだみ」と称しているので、人々の印象も悪いし、少々悪臭もあるので、関心を寄せないのであろう。しかし、人気のない植物なのであるが、薬用にもなっている。私がこの花に関心を寄せるのは、白い花が十字形になっており、この花を「十字架草」と称した人により、時別に関心を寄せるようになったのである。


「スミ夫人の丹精さるる花鉢の 横にどくだみ白き十字架」 佐竹正道さん作


 連れ合いのスミさんは、大塚平安教会在任時代、いろいろな草花を育てていた。教会の玄関付近にも花鉢を置いており、その横に咲くどくだみの花に心を寄せられたのであろう。この歌に接して以来、どくだみの植物を十字架草と称するようになったのである。十字架は教会を始め、キリスト教関係の建物には掲げられているのであるが、十字架草は掲げられているのではなく、地面に咲く花である。じめじめした土地であり、人もあまり寄り付かない場所に咲くことの意味は大きいと思う。十字架の形をした花は、独特な匂いを放ちながら、地に根付いているのである。イエス様の福音の神髄を証しているようである。我が家の室内にも、いくつか十字架を掲げているが、それは飾り物程度なので、教会に掲げられているような印象はない。ところが、毎年の初夏頃になると十字架草を示されるので、この時期は十字架の季節でもあるのだ。十字架は飾るものではなく、心に示されるものであるが、やはり目につく場所に置いて置くことは大切なことでもある。
大塚平安教会在任時代、創立40周年を迎えたとき、礼拝堂の改修を行った。新しい教会建設は、その頃も検討課題であったが、40周年は改修程度にとどめたのである。いろいろと不便な構造を改修したのである。その時、講壇の改修も行う。本来は講壇の両横に小部屋を設けていた。礼拝前の準備室として造られていたのであるが、物置になっており、本来の目的としては使われていなかったのである。それで、小部屋を撤去し、講壇を広い空間としたのである。聖壇の中心は十字架であり、改修工事中の課題であった。そして、示されたデザインを模型に造り、大工さんに提示する。大工さんの中に宮大工さんがおられ、これは自分の仕事であると、喜んで製作してくれたのであった。
 聖壇には十字架を掲げる。その部分には梯子がかけられている。この意味は、創世記28章10-17節による。ヤコブが旅の途中で、天使が梯子を上り下りするのを示されたことに由来している。梯子の部分に十字架を掲げたのである。十字架によって天への梯子を上る導きがあるからである。そして、十字架の両横には六本ずつの柱を立てる。12本なのであるが、梯子の柱と兼ねてしまったので10本の柱にしか見えない。柱は12部族であり、12人の使徒たちでもある。私達も主の柱になるよう導かれているのである。この聖壇の十字架は、他には見られないデザインであるが、新しい教会と共に消えてしまったのである。新しい教会の聖壇に、今までの十字架を掲げているが、梯子と柱がないので、今までの十字架の意味は示されないのである。十字架だけで十分なのであるが。今では残されている模型と写真であるが、それと共に毎年の初夏に咲く十字架草から、主の御声を聞くようである。十字架草のように少々、悪臭があってもよいと思っているが…。



物置付近に咲き乱れているどくだみ草。



どくだみの花は十字形であり、十字架草と称している。



前任の大塚平安教会時代、礼拝堂の改修で、模型で聖壇を作る。



模型のもとに造られた聖壇。