鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<413>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<413>
2016年6月21日「まだ働けるのかと」



聖書の言葉
ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった」。そこで、ヨセフは起きて、幼子とその母を連れて、イスラエルの地へ帰ってきた。
(マタイによる福音書2章19-21節)



6月の第三日曜日は「父の日」であるとか。「母の日」と同じように贈物売り場がにぎわったようである。この「父の日」については、根拠がないことと理解しているので、いつも子ども達には、贈物なんかいらないからね、と言っている。しかし、そうは言っているが子ども達からはプレゼントがあり、喜んでもらうことになる。今年もいくつかのプレゼントをもらい、喜んでいるような訳である。「父の日」の当日は誰も来なかったが、子ども達はメールでメッセージを送ってくれたのである。スペイン・バルセロナ在住の羊子からのメールを紹介しておこう。「スペインでは聖ヨセフの日が父の日です。私にとってお父さんはヨセフのようであり、イエス様のようです。大工仕事が上手で、奥さんを大事にし、黙々と働く姿。弟子や弱い人達の味方で、皆に神様の教えを伝える姿。まるで一緒だね。そういうお父さんを心から尊敬して誇りに思っています」と過分な評価を伝えてくれた。ありがたくメールを読む。
ところで「父の日」は日本において、「母の日」があるので付け加えたような印象をもっていたが、外国にも「父の日」があることを羊子のメールで知ることになる。早速、ネットで調べてみる。確かに「父の日」があり、大切な日とされているのである。西洋における「父の日」は聖書に登場する「マリアさんとヨセフさん」のヨセフさんに由来する。3月19日がその日であり、イタリアでは「サン・ジュセッペの日」とされており、スペインでは「サン・ホセの日」である。「ヨセフの日」として祝われるようになったのは10世紀の西方教会であったようである。この日を5月1日に決めているところもある。ローマ教皇ピオ12世が決めたとされている。5月1日はメーデーであり、働くヨセフを象徴して決められたのであろう。ところによって月日が異なるが、ヨセフさんが根源であることは同じである。3月19日がヨセフさんの誕生日ということではなく、西洋では毎日が聖人を覚える日になっており、ヨセフさんが3月19日に聖人として覚えられていたのである。そして、この日が「父の日」となったと言われる。
ところで、サグラダ・ファミリア教会がヨセフさんの本山であることは、あまり知られていない。同教会の建設が始まるのは1882年であり、それも3月19日の「ヨセフの日」に着工されたのである。建設は民間のカトリック団体「サン・ホセ教会」である。ヨセフさんの信仰を根拠にしている人々が新しい教会を建設したのである。だからサグラダ・ファミリア教会を日本語で言えば「聖家族贖罪教会」である。贖罪とは主イエス・キリストが十字架により、人間の根源的な罪を救われたということである。イエス様、マリアさん、そしてヨセフさんを含めた聖家族が人間を救われる教会がサグラダ・ファミリア教会なのである。同教会をヨセフの教会と称しても良いことであり、バルセロナはヨセフの街なのだ。そこまで知ると、もう一度ヨセフの街で過ごしたくなっちゃったりして。
西洋の絵画は多くの場合、マリアさんが中心であり、ヨセフさんは付け足されるようにして画かれている場合が多い。そういう中でもヨセフさんを中心に描かれている絵画もあるようだ。フランスのルーブル美術館には「大工聖ヨセフ」の絵画が展示されている。ショルジュ・ド・ラ・トゥーレ作で、1640年頃に描かれている。2011年4月にルーブル美術館を訪れ、諸絵画を鑑賞したが、時別な思いでこの絵を鑑賞してはいない。何しろ、足が棒のようになって次々に鑑賞しているので、関心を寄せなかったのである。その他、18世紀に描かれている「聖ヨセフと幼子イエス」、1625年に描かれている「逃避行の夢」と題する絵画もあるそうだ。2014年の大塚平安教会のカレンダーは「キリストの幼少時代」であった。この絵は大工仕事をするヨセフさんを側で見つめる幼子イエス様が描かれている。この絵は意味のある絵画なのであるが、全体に暗い絵になっているので、ホームカレンダーとしては喜ばれなかったようではある。
大塚平安教会時代、気仙三一先生が礼拝に出席されていた、お連れ合いが教会員であったからである。教会の修養会で、気仙三一先生は西洋美術にご造詣が深いのでお話しを聞く機会を持つ。この時、気仙三一先生はヨセフさんを取り上げてお話しされたのである、西洋絵画におけるヨセフさんの存在は脇役であり、とってつけられているような描かれ方であるとお話しする。しかし、そのヨセフさんの脇役的描かれ方こそ、私達の生き方の指針であるともお話しされたのである。目立たないが、確実に存在を証しているのである。この気仙三一先生のお話しを聞いてからではないが、私はもともとヨセフさんの存在を好ましく思っていた。
「大工仕事が上手で、奥さんを大事にする」ことがヨセフさんであれば、もう少し大工仕事に身を入れようか。先日も食事のテーブル横に、スミさん用の小物置代を作ったばかりである。さて、今度は何を作ろうか…。まだ働けるようなので。



サグラダ・ファミリア教会(聖家族贖罪教会)聖誕の門側。
今ではヨセフさんの教会と思っている。



ドレーパー記念幼稚園のホールに飾られたクリスマス物語。
ヨセフさんとマリアさんが大きく飾られている。



2014年大塚平安教会カレンダー。
ヨセフさんと幼子イエス様。



食卓の横に作った小物置代。
スミさん用に作られる。