鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<399>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<399>
2016年2月16日「時代の波を追いかけつつ」



聖書の言葉
新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。右の御手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた。
詩編98編1節)



最近は世の中を生きるのが結構苦労するようになっている。加齢のためでもあるが、世の中の流れがどんどん進んでいるという印象でもある。宇宙の仕組みを研究して、新しい研究発表があったりして、まだまだ未知の世界なのであろう。日本の物作り、研究開発は本当に優れていると思っている。そんなことをつくづく示されたのは、何のことはない、14日の日曜日には家族で回転寿司屋さんに行ったからである。毎月、第二日曜日は横須賀上町教会の礼拝説教、聖餐式を担当させていただいているが、礼拝が終わると愛餐会が開かれる。しかし、これは決まっていることでもなく、簡単な茶菓でお交わりをすることもある。今回がその様で、お茶をいただいてから帰宅したのであるが、お昼時でもあり、どこかで食事をすることにした。いろいろとみんなの希望を聞くうちにも、家から比較的近くに回転寿司屋さんが昨年開店したので、行ってみることにした。実は、開店の頃、スミさんと行ってみようかと話し合ったものである。しかし、いつもその店の前を通る度に、駐車場にはたくさんの車が止まっている。開店したばかりなので、いつもお客さんが多いようである。それで、行くことはないままに来ていた。子どもたちも一緒だし、ここは一つ入ってみることにしたのである。
やはりお客さんが多く、15分くらい待たされる。やがて案内された席でいただくことにしたのである。回転寿司と言えば、流れてくるお寿司を取っては食べると思っていた。確かにその様なシステムであるが、更に画面によって、好きなお寿司を注文する。注文したお寿司が流れてくると、「ご注文の物がまいります」との放送がある。回転で流れてくるお寿司には「オーダー品」と書かれてあり、それは取ってはいけないのである。しかし、オーダー品と共にいろいろなお寿司が流れてきている。お寿司屋さんであるが、麺類もある。ラーメン、うどん、日本そば等も注文することができる。デザートにはアイスクリームの類い、ケーキまで用意されている。この様なシステムを知り、開店当初、連れ合いのスミさんと二人で来なくて良かったと、つくづく思ったものである。二人で来たら、何をどうやって食事をするのか、きっと迷うだろうと思ったものである。今回は子どもたちがすべてオーダーしてくれたので、食べるだけで良かった。世の中の移り変わり、進歩と言うのだろうか、本当にまごまごしてしまうのである。
まごまごしたのはガソリンスタンドである。ガソリンスタンドで注油するとき、以前は店の人にしてもらっていた。しかし、セルフで注油するスタンドが増えてきた。どうもセルフで注油することは気が進まない。だから毎回店の人に入れてもらっていた。ところが今はほとんどがセルフなのである。いつまでもセルフを嫌がっていたら注油ができなくなる。それで仕方なくセルフをするようになる。音声や画面で案内される仕組みは、この年になると面倒なのであるが、世の中はほとんどがその様な仕組みなのである。以前、ガソリンスタンドに灯油を求めに行った。ここもセルフであり、音声に従って注油する。ところがお釣りがどこから出てくるかわからない。するとスタンドの事務所からスピーカーで案内してくれる。伝票を釣銭の機械に差し込むと出てきたのである。これも初めての経験で、まごまごしたことであった。高齢者はなかなかなじめない仕組みになっているのである。
我が家の子供、優から勧められてiPadを持つ様になった。2014年10月から二ヶ月半、バルセロナに滞在するにあたり持参したのである。インターネットも使えるし、これ一台で十分であるが、いつも使っているパソコンも持参した。iPadで文書を作るのは面倒でもある。だからもっぱらパソコンで作業をしていた。役に立ったのは電子ブックであった。本を持参するのは飛行機の重量制限にもなる。電子ブックには古典もあり、我々に馴染みのある本がある。それで滞在中はドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟」を読んでいた。結局、読み切れないので帰国したら読むことにしていた。しかし、帰国後は一度も電子ブックを読んでいない。カメラや動画も活躍したくれたが、Uチューブなるもので、NHKの朝ドラを見ることもできたし、いくつかの映画も見ることができた。しかし、その程度で、他のことはパソコンで用が足りるし、iPadを持っているものの、あまり使っていないのである。今は、バルセロナ在住の羊子とはFaceTimeで話すこと、それくらいしか使っていない。
指先と音声で生活しているのが今の時代なのである。自分から話すことなく、沈黙の世の中になってしまっているという印象である。高台から大声で「愛してるよう」と叫ぶ模様をテレビで見るが、結構なことである。



羊子たちが一時帰国したとき、彼イグナシオさんを回転寿司に案内する。



バルセロナ滞在中は持参したパソコンを使っていた。



バルセロナ日本語で聖書を読む会の皆さんとネット礼拝で説教。



羊子の家の眼の前にあるサグラダ・ファミリア