鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<398>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<398>
2016年2月8日「宿る木としての存在」



聖書の言葉
わたしの父に祝福された人たち、用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちはわたしが飢えているときに食べさせ、喉が乾いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからである。
(マタイによる福音書25章31-40節)



書斎の窓から、少し離れているが、欅の樹が数本見えている。いろいろな鳥たちが拠りどころとしているようだ。かなり枝が張っているので、鳥たちの格好の場なのであろう。巣作りをしている鳥もいるのであろう。飛んで来たり、飛び立ったり、そんな状況を、パソコンの作業を休めては見ているのである。ひと時の休息でもある。ところが先週の土曜日、欅の樹の下に何台かの中型トラックが停まっている。クレーン車も来ている。その欅の樹を切るということであった。鳥たちの憩いの場であるのに、と思ったものである。近所の人がいうには、落ち葉被害、糞害があり、苦情が出ているという。人間が住みよくするためには、鳥たちには気の毒であるが、やむを得ないことなのであろう。全部、切り倒してしまうと思ったが、数本は切り倒したようであるが、枝を残した数本が存在している。良かったと思う。その残された枝ぶりの少ない欅の樹に、早速鳥が来て休んでいるのを見て、なんとなく安堵を覚えたのであった。やがて若葉の季節となり、緑の葉の頃は、鳥たちも宿る木としてやってくるだろう。
鳥たちが宿る木としてやってきては、大騒ぎをすること、やむを得ないのであるが、騒音となる。時々であるが用事で藤沢駅を降りる。駅前には樹木が植えられていて、そこには多くの鳥たちが来ている。大騒ぎと思える鳥たちの鳴き声がしている。その大騒ぎの鳴き声で会話も聞こえないほどである。糞害もあるのであろうが、藤沢市はそのままにしている。鳥たちにとってはありがたいことである。その鳥の鳴き害についての思い出がある。神学生時代は寮生活をしていた。窓の外には大きな公孫樹の樹があった。そこに鳥たちがやってくるのである。一斉に鳴きだす鳥たちの鳴き声は、それはそれはすさまじいものであった。寮の隣は目白教会の牧師館である。当時の牧師、篠原金蔵先生のお宅である。あまりにもすさまじい鳴き声の合唱なので、篠原先生が窓からパンパンと手を打つ。すると一斉に鳥たちが飛び立っていくのである。鳥たちはすぐには戻ってこないが、数時間後には戻って来て、また大合唱をするのであった。その度にパンパンと聞こえてくる。また静まるのであるが、そんな状況を寮の一室で受け止めていたのである。
我が家を新築する前の頃、もはや誰も住んでいない家となっていた。私たちはまだ大塚平安教会在任中であった。無人の家なので、時にはやってきて、家の中に風を入れたり、庭の整理をしていた。その庭にかなり太くなった杉の木があった。枝も張って近所迷惑にもなりかねない。そこで杉の木の枝を皆切り落としてしまったのである。枝のない杉は電信柱のように立っている。数年後になると、その杉の木が根元からぐらぐらするようになる。枝もなく、葉もつけられないので杉の木は枯れてしまったのである。結局、危険でもあり、根元から切り倒したのである。樹木は枝を全部払ってはいけないのである。窓から見える整理された欅の樹を見ながら、生き延びて鳥たちの希望になるのだろう、と思っている。
隠退している私達をいろいろな皆さんがお訪ねくださる。先日、2月2日にも知人がお訪ねくださった。しばし、楽しく語らうひと時を与えられる。隠退して5年にもなるが、結構多くの皆さんがお訪ねくださっている。週日にお訪ね下さる方もあるが、日曜日にお出でくださり、六浦谷間の集会で共に礼拝をささげられるのである。昨年のクリスマス礼拝には12名の皆さんで礼拝をささげている。通常は夫婦二人で礼拝をささげているのであるが、やはり皆さんと共に礼拝をささげる喜びは大きい。2010年11月から夫婦二人で礼拝をささげる様になったとき、いずれはこの集会を伝道所にするとか、教会建設を目指すことは考えてはいなかった。基本的には夫婦二人であるが、時には皆さんが出席されたら嬉しいことである、くらいの思いであった。だから、皆さんには案内もしないし、誘うこともない。それでも六浦谷間の集会の礼拝には、いろいろな皆さんが出席されている。集会の二回目の礼拝には、大塚平安教会時代の方がお二人出席された。以前は座間市に住んでおられたが、今は娘さん夫婦の家、追浜に住んでいる小澤八重子さんは、時々娘さんに送り迎えされて出席されている。89歳にもなっている。もう一人、大塚平安教会の礼拝に出席されていた田野和子さんである。他教会員であり、私達が退任されてからは、出席されなくなったようである。それで、こちらの礼拝に出席されたのであった。今は北海道にお帰りになっている。
皆さんはなかなか話し相手がおられなくて、私達をお訪ね下さるのであった。その様な歩みの六浦谷間の集会であるが、鳥たちが宿る木を必要としているように、この集いも宿る木的存在であればと思っている。



書斎から見える欅の樹。枝が払われる前。



枝が切られた後の欅の樹。



六浦谷間の集会の礼拝。バルセロナから一時帰国している
羊子やイグナシオさんと共に。



羊子が礼拝の奏楽を行う。
いつもはヒムプレーヤーで賛美する。