鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<397>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<397>
2016年2月1日「教会の歩みを共にしながら」



聖書の言葉
わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ。あなたは、わたしが先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。
ヨシュア記1章5-9節)



このところ、特に日本海側では降雪が続き、大変であろうと思う。それに対して、我が家の横浜市金沢区六浦地域は降雪もなく、ありがたいと思っている。我が家の子供たちが住む相模原市や海老名市でも降雪があり、雪かきが大変であったと聞く。当地は三浦半島の入口であり、太平洋岸でもあるので温暖地域なのである。それでも1月31日の日曜日は雪が降るかもしれないということであった。この日は三崎教会のお招きをいただいており、雪が降ろうが行かなければならない。もし雪が降るなら、連れ合いのスミさんは行かないで、私は電車とバスで行くことにしていた。少しでも雪が降ると危険でもあるからだ。いつも横浜横須賀道路で衣笠で降り、そこから三浦縦貫道で太平洋側の林地域に出る。その三浦縦貫道は山の中を走るので、少しでも雪が降ると危険なのである。しかし、幸い天気予報が変わり、後に晴れということであり車で出掛けたのである。三崎教会は隔月くらいにお招きをいただいている。前回は11月22日にお招きをいただいたが、伝道礼拝として説教であった。丁度、羊子が彼・イグナシオさんと共に一時帰国しているときであり、伝道礼拝に続いてピアノのコンサートを開かせていただいたのである。今回も皆さんと共に礼拝をささげることができ喜んでいる。
三崎教会は三浦半島の突端とも言うべき所に存在しており、人口も少ないこともあり、伝道は困難でもある。しかし、いつも40名前後の皆さんが礼拝に出席しており、信仰生活を喜んでおられるのである。2012年7月から隔月にお招きをいただいており、今では教会の皆さんとのお交わりが深められていることを感謝している。教会もいろいろな取り組みをしながら伝道する教会として歩んでいる。2月21日の礼拝後は「お花見」の集いを企画している。えっ、もうお花見と思ったのであるが、教会の周りには桜の木が存在している。古木と言われるほど、かなり太い桜の木なのである。寒桜と言われているが、三浦の地は暖かいので、2月ともなれば開花するのだそうだ。7月には緑陰お楽しみ会があり、広く伸ばした桜の枝の緑陰の下で、カレーライスやいろいろな楽しい食べ物をいただくのである。教会学校の子供達も結構参加して祝福のひと時である。教会はいろいろな取り組みをしながら伝道をしているのである。
その様な三崎教会の取り組みを示されているとき、宮城県の陸前古川教会時代にお交わりをいただいた佐々木郁朗さんのご召天のご連絡をいただいた。85歳で老衰とのことであった。お連れ合いに哀悼の意をお知らせしながら、その当時の写真の何枚かをコピーしてお送りしたのであった。私たちが最初の教会、青山教会に4年間のお勤めをした後は宮城県の陸前古川教会に赴任したのは1973年4月からである。今から43年前であるが、佐々木郁朗さんは、その頃は42歳ということになる。働き盛りの存在で、教会の柱として歩まれておられたのである。従って、教会の皆さんからは「大兄」(たいけい)と称されていた。前任の牧師、後藤金次郎先生は40年間、教会と幼稚園を担って来られた。その後を受けて赴任した私は33歳であったのである。青山教会では伝道師、副牧師であったので、主任牧師の経験はない。まだ未熟な牧師を、ベテランの後藤金次郎牧師からの橋渡しをしてくれたのが佐々木郁朗さんであった。その頃も20名前後の礼拝出席であり、今でも変わらないようだ。それでも中高生が結構出席しており、一緒にいろいろな取り組みをしたものである。事務機・文房具店にお勤めで、いろいろと便宜を計ってくれたことが思い出される。昔の写真を見ると、礼拝はもちろんであるが、修養会、野外礼拝、連合礼拝等、どの集会の写真にも郁朗さんが写っているのである。それだけ教会の歩みを担っておられたことを示されるのであった。
地方の教会は、とかく牧師は孤立するものだ。隣の教会と言っても、車で30分、1時間も離れている。牧師会が開かれるが一日がかりの集会にもなる。だから日ごろ行き来して、互いに話し合い、励まし合うこともできない。それに対して、都会の牧師は、いつでも会うことができ、相談したり、雑談に花を咲かせることができるのである。そのように孤立した牧師を支えてくれたのは、陸前古川教会の壮年の皆さんであった。佐々木郁朗さんばかりではなく、他の皆さんも、時にはサウナに案内してくれたり、食事の接待等もしてくれたのである。佐々木郁朗さんには、時たま飲み屋さんに案内されたものだ、お酒の好きな方で、一緒に過ごしながらもアドバイスをしてくれたのである。
この事は、地方も都会もない。ともすると孤立する牧師を支えるのが教会員である。牧師と共に教会の歩みを担うことが支えるということでもある。



三崎教会のたたずまい。



三崎教会の緑陰おたのしみ会。



冬の陸前古川教会。1973年当時。



陸前古川教会時代の愛餐会。手前にいるのは ?