鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<376>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<376>
2015年9月22日「更生を祈りつつ」


聖書の言葉
キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する協力者フィレモン、姉妹アフィア、わたしたちの戦友アルキポ、ならびにあなたの家にある教会へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
(フィレモンへの手紙1章1-3節)


前回から三崎教会との関わりを報告している。今は隔月くらいに三崎教会の講壇に立たせていただいている。時には三ヶ月続けて礼拝に招かれる場合がある。今では、三崎教会には青山教会時代の知人、清水ヶ丘時代の知人がおられるので、三崎教会での礼拝説教を楽しみにしているのである。いつもは二ヶ月先の予定としてお招きいただいている。第一日曜日が役員会であり、午後になると三崎教会の役員会は、次の説教日の予定を打診してこられる。今年は2月、4月、5月に講壇に立たせていただいている。5月の第一日曜日、本来なら7月の礼拝について予定を打診してくださるが、連絡がないので、7月は三崎教会の礼拝説教はないものと思っていた。ところが6月21日の午後、三崎教会から連絡があり、6月28日の礼拝予定を知らせて欲しいとのことであった。5月には説教をさせていただいているので、6月は予定されていないと思っていたのである。ところが担当の方が私に連絡をするのを忘れていたのである。もし、6月28日に大塚平安教会の礼拝説教の予定が入ってなければ、担当できたのであるが、残念ながら事情を説明する。そして8月30日にお招きいただき、10月25日、11月22日にもお招きをいただいている。11月22日は伝道礼拝としての説教である。重い務めをお受けしたのであるが、心から感謝しているのである。
三崎教会との関わりについては、2012年7月29日にお招きをいただいて説教をさせていただいたことが始まりである。それに先立ち、6月に開催された神奈川教区総会が清水ヶ丘教会で開催され、その時、今は三崎教会の代務者を務めている生野隆彦先生とお会いしたことが始まりとなるのである。今後、時々、説教をさせていただくお話しになったのである。しかし、生野先生との関わりは20年以上も昔に遡らなければならない。同じ神奈川教区内の教会の牧師なので、1979年に私が大塚平安教会に赴任したことが始まりであるが、教区内の牧師であっても関わりがそんなに深まる訳ではない。関わりが深まるのは私が八王子医療刑務所教誨師、神奈川医療少年院篤志面接委員に就任してからである。教誨師篤志面接委員に就任するのは1994年からであり、大塚平安教会牧師に就任してから15年後になる。その頃、私は神奈川教区の重責を担っており、書記、副議長、議長等の責任を担っていたのである。そんな時、今まで教誨師篤志面接委員を担っていた牧師が退任することになり、教区に後任を求めてきたのである。その頃、私は横浜保護観察所の保護司を退任したばかりであった。保護司は少年たちの更生を指導するのであるが、保護司のもとに、面接に来なければならない少年たちは、我が家の子供たちと同世代であり、時には知り合いで出会ったりしていた。それで少年たちのためにも、我が家の子供たちのためにも退任したのであった。保護司の経験があるので、教誨師篤志面接委員に推薦されたのであった。生野先生と出会うのはこの時からである。生野先生はこの道の大家であり、以前より教誨師として務めていたのである。そればかりではなく日本基督教団にある教誨師会の世話役でもあり、神奈川県の中にある矯正施設と関わりを持っておられたのである。
神奈川県には横浜刑務所、横浜拘置支所、小田原拘置支所、相模原拘置支所がある。そして久里浜少年院、小田原少年院、神奈川医療少年院等がある。私が務めた八王子医療刑務所は東京の管轄である。そして、神奈川医療少年院篤志面接委員として務める様になり、神奈川教区の取り組みとしての存在になったのである。生野先生は神奈川県にある矯正施設を常に心に示されており、何とかして一人でも多く教誨師を矯正施設に送り込みたいのである。2010年3月に大塚平安教会を退任と共に、16年間務めた八王子医療刑務所、神奈川医療少年院を退任する。八王子医療刑務所は神奈川県内にある教会の牧師より、刑務所に近い牧師が就任すればよいと思っていた。刑務所に近い片倉教会の牧師に委ねたのである。神奈川医療少年院については、いずれ八王子医療刑務所内に転居することを聞いていたので、後任は推薦しなかった。しかし、大塚平安教会に就任した菊池丈博牧師が教誨師となられたことを喜んでいる。今は橋本にあるが、そこまでも結構な距離である。お働きを祈っている。
今回は矯正施設の紹介になってしまったが、毎月または隔月に三崎教会の礼拝説教をさせていただく原点が、実は矯正施設の関わりを持つ生野先生との出会いがあったからであることを記しておきたかったのである。



三崎教会の佇まい。



生野牧師ご夫妻と三崎教会の玄関で。



清水ヶ丘教会、青山教会時代にお交わりいただいた皆さんと再会する。



礼拝案内の看板。