鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<362>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<362>
2015年8月10日「駆け出しの頃」


聖書の言葉
神の御心によってキリスト・イエス使徒とされたパウロと、兄弟テモテから、コリントにある神の教会と、アカイア州の全地方に住むすべての聖なる者たちへ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。
(コリントの信徒への手紙<二>1章1-2節)


大塚平安教会において30年間6ヶ月の牧師を務めたが、神学校を卒業して最初の教会、東京の青山教会に4年間、そしてその後は宮城県の陸前古川教会に6年6ヶ月、並行して登米教会に1年間務めたことが、大塚平安教会の働きの土台となっている。良い経験であったと言うより、牧師になって行く途上の学びの時であったと思う。青山教会に伝道師・副牧師として務めたが、思わぬ就任であった。神学生時代は曙教会を奉仕教会としていた。そして、卒業期になっても赴任先が決まらず、その曙教会に担任教師として名を置かせていただく方向にしたのである。そのためにはやはり、教会総会を開き、担任教師招聘の件として決議していただいたのである。既に連れ合いのスミさんとも婚約しており、彼女は明治学院に勤めていたので、スミさんにお世話になりながら、曙教会の担任教師として務めることにしたのである。その様な進路を受け止めてくれた曙教会であったが、青山教会からの招聘が舞い込んでくる。今までの副牧師が突然退任することになり、至急後任を決めたいとのことであった。曙教会の牧師であった新屋徳治先生が、青山教会への進路を勧めてくれたのである。曙教会は総会で招聘を決議しているものの、暫定的なことでもあり、はるかに教会員も多い青山教会での働きを勧めてくれたのであった。こうして思わぬ方向で進路が変更になったが、青山教会での4年間は、牧師としての始まりの時であり、随分と勉強させられたのであった。
青山教会は伝統的な長老主義の教会であり、教会の秩序も組織等を固く守りながら歩まれていた。当時の主任牧師は宮内彰先生であり、かなり高齢ではあったが、黙々と牧会に当たる姿勢から、いろいろと教えられたのであった。牧師になった1969年は社会的に荒れ模様であった。学園紛争があちらこちらに飛び火しており、それが教会内にも燃え移っていた。しかし、青山教会においては教会紛争なるものはなく、毎週の礼拝が導かれていたのである。しかし日本基督教団内においては、その後、議論が深刻化する諸問題を踏まえつつ歩んでいたのである。1969年2月25日、沖縄キリスト教団と日本基督教団との合同式典が行われる。その4月に私が青山教会に就任している。そして、1969年9月1-2日、常任常議員会において、第15回総会で決議された万国博キリスト教館建設に反対する人々との20時間に及ぶ徹夜の討論が行われる。1969年9月8-11日、全国教職者大会が箱根小涌園で開催され、959名が参加する。この大会には宮内牧師の勧めもあり、私も参加している。そして、1969年11月25-26日、東京山手教会において日本基督教団臨時総会が開かれ、諸問題につき議論されたのである。1970年3月11日、東京神学大学は機動隊を導入し、バリケード封鎖を解除する。1971年5月25日、東京教区総会は開催反対者の介入により中止となる。その後、東京教区はしばらく総会が開催されない状況となる。そのため、1973年3月16日に牧師になるための按手礼を受領することになるが、教区総会ではなく西南支区の責任において執行されたのである。西南支区からはもう一人の志願者がおり、青山教会にて宮内彰牧師の司式で行われたのであった。青山教会には4月に就任したが、その6月には弓町本郷教会にて、鵜飼勇牧師の司式で准允を受領している。伝道師になるための式であるが、この時は教区総会を開くことができていたのである。
こうして激動の時代にキリスト教牧師になって行くのであるが、最初に赴任した教会が私の牧師としての出発点となっており、良い指針を与えられたと思う。何が真理であり、正しい道であるのか分らないが、主にある歩みが絶えず導かれていたと思う。2013年11月3日、青山教会にて礼拝説教のお招きをいただき、午後からは牧会講演を行う。その合間に羊子が帰国していたのでピアノの演奏を行う。それこそ45年ぶりに青山教会の講壇に立たせていただいたのである。羊子は3歳まで、星子は1歳まで、母親のスミさんと共に礼拝に出席していたのだから、その当時の皆さんも再会を喜んでくださった。その当時の皆さんがお元気に礼拝に出席しており、力強い信仰生活をされておられるのである。今年の4月7日には青山教会員の方が二名お訪ねくださった。在任当時は青年の皆さんであった。今に至るまで信仰のお交わりが導かれていることは誠に感謝である。



青山教会の講壇。45年ぶりの説教である。
2013年11月3日。礼拝後に羊子のピアノ演奏が行われる。



当時の教会の皆さんと記念写真。
スミさんと手を繋いでいるのが山田満枝さん。
今は三崎教会の礼拝でお会いしている。



砧緑地公園へ教会学校のハイキング。
1970年5月、青山教会に就任して二年目である。



陸前古川教会時代の子供たち。
間もなく大塚平安教会へ転任の頃。