鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<360>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<360>
2015年8月6日「セレモニーに臨みながら(その三)」


聖書の言葉
その後アブラハムは、カナン地方のヘブロンにあるマムレの前のマクペラの畑の洞穴に妻のサラを葬った。その畑とそこの洞穴は、こうして、ヘト人からアブラハムが買い取り、墓地として所有することになった。
(創世記23章19-20節)


東北の教会は6年半の在任であったが、それでも洗礼者8名、幼児洗礼者2名が与えられ感謝している。更に結婚された五組の皆さん、一組の婚約者がおられる。これらの数字は、本当に祝福のお導きであったと示されている。地方の教会はなかなか洗礼者が与えられないからである。地方ばかりではなく、都会においても伝道は困難である。そして、毎月聖餐式が執行されたことも感謝である。こうして祝福の歩みであったと思うが、葬儀は一度もなかった。それは結構なことである。しかし、6年半の間、誰も天に召されなかったのではない。数人は天に召されたのであるが、いずれの方も仏式で葬儀が行われたのである。地方においては、個人の信仰より、家の宗教が大切にされる。本人が教会に出席しており、洗礼を受けていることも知っている家族であるが、親族の手前、仏式で葬儀を行うことになるのである。
もうかなり高齢になっておられる方を、教会員と共にお見舞いに行ったことがある。今は教会に出席できなくなっているが、ひと時は教会生活を熱心にされたようである。牧師と教会員の訪問を喜んでくれた。牧師がお祈りすれば、大きな声で「アーメン」と唱和されるのである。壮年会の集いが会員の家で行われていた。始まって間もなく連絡があり、教会員と共に訪問した高齢の方が亡くなったというのである。これから和尚さんが来て、葬儀の打ち合わせをするのであるが、その前に牧師さんにお祈りしてもらいたいと言うのである。それで壮年会の会合が始まっており、お酒も出されたりして、いただいていたのであるが、車で来ていたので、そのまま亡くなった方の家に向かったのであった。昔は今のように飲酒運転は厳しく取り締まっていなかった。そして、亡くなった方の枕辺でお祈りをささげたのであった。「これで安心して仏教のお葬式ができます」と家族が言われるのであった。家族の皆さんも本人がキリスト教の信仰を持っていたことを十分知っており、しかし、親戚縁者の関係で仏教の葬式をしなければならなかったのである。だから、葬式を行う前に、牧師がお祈りしてくれたので、亡くなった本人に対して、責任を果たした思いなのである。この事は東北の教会に限らない。大塚平安教会時代も、教会員が亡くなっても仏教で葬儀を行う家族がおられた。その家族ともお交わりを深めていたのであるが。
こうして仏教の葬式を行わざるを得ないのであるが、やはりキリスト教の葬儀をしてあげたいとの思いを持たれた方がおられる。ご夫婦で教会員であった。お仕事は薬屋さんで、広く活躍されていたのである。礼拝にはあまり出席できないでいたが、夫人はいつも出席されていたし、教会員としての責任をはたしておられたのである。そのお連れ合いが病気で倒れ、入院されるようになったので病室に伺うようになる。聖書を読み、お祈りすると、いつも「アーメン」と唱和されていた。その方が亡くなる。ご夫婦で教会員であったし、当然、キリスト教の葬儀を行うと思っていた。しかし、お寺で葬儀が行われたのである。やはり親戚の関係で、仏教の葬儀が当たり前になっているのである。夫人はやはりキリスト教の葬儀を望まれていた。それでいろいろと話し合った結果、記念式と言う形で、教会で行うことになったのである。葬儀を二回も行うようであるが、形は記念式なのである。葬儀屋さんも心得ていて、飾られた祭壇はキリスト教の葬儀なのである。この記念式には前任の牧師、そして前前任の牧師まで列席され、キリスト教の葬儀が行われたのであった。
夫人は感謝として献金をささげられたが、教会は墓地建設の取り組みが進められていた時である。その献金を墓地建設資金として、計画を早めたのであった。墓地の設計は教会に関係する設計士さんであり、古川市の公的墓地の一角を取得し、建設が始められたのである。残念ながら、完成を見ないで神奈川県の大塚平安教会へ転任することになる。完成した墓地にまみえるのは、その後、用事で古川に寄ったときであった。墓地建設はよくよく使命になっており、大塚平安教会に就任してまもなく、教会墓地を完成したのであった。大塚平安教会は、墓地建設については全面的に牧師の業としてくれたのである。
葬儀といえば、陸前古川教会時代は記念式以外のキリスト教の葬儀は一度もない。しかし、大塚平安教会に就任するや、大塚平安教会教会員、関係する綾瀬ホームやさがみ野ホームの利用者の葬儀が数多く行われ、30年間で100名の皆さんをキリスト教の葬儀で天にお送りしたのであった。斎場の担当者も、すっかり顔なじみになり、「ご苦労様です」と挨拶されるようになっていた。



記念会であるが、初めてキリスト教の葬儀を行う。



陸前古川教会の墓地。退任後完成。
その後、用事で東北に行ったとき、立ち寄る。



聖句は在任中に選んでおいた。愛唱聖句でもある。



まもなく転任の頃。
ケーキの前では楽しそう。