鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<337>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<337>
2015年5月26日「まだ当てにされているので」


聖書の言葉
こういうわけで、わたしたちは、憐れみを受けた者としてこの務めを委ねられているのですから、落胆しません。かえって、卑劣な隠れた行いを捨て、悪賢く歩まず、神の言葉を曲げず、真理を明らかにすることにより、神の御前で自分自身をすべての人の良心にゆだねます。
(コリントの信徒への手紙<二>4章1-2節)


まだ当てにされているんだ、と思うことがあった。前任の大塚平安教会時代、退任の頃はまだ中学生であった女の子が、今は大学生にもなっている。幼稚園を卒業してからは教会学校に通いつつ成長している。土曜日の夕刻、丁度食事をするところであったとき、その女の子が電話をくれたのである。毎月ではないが、第四日曜日は三崎教会の礼拝説教を依頼されている。5月24日も赴くことになっている。その三崎教会には二番目の娘、星子も出席している。土曜日に来ては泊まり、日曜日の礼拝に共に出席するのである。そのため23日の夕刻に来たので一緒に食事をするところだった。丁度その時、女の子の電話がある。キリスト教の授業を受けており、宿題が出ていたが、提出期限が三日後に迫っているので、助けてくださいというのである。大学の授業なので、かなり高度なことを教えている。
本人もそのつもりで宿題にとりくむつもりでいたが、大学生活は何かとしなければならないことが多いようである。提出期限が迫っている。どうしたものかと思案しているとき、心に示されたのが「園長パパ」であった。「園長パパ」ならきっと何とかしてくれる、と思ったのであろう。電話を受けた園長パパも、満面破顔となって応対している。宿題なんだから、自分でやりなさいとつっぱねても良いのであるが。まあ、アドバイスくらいは良いと思う。
1979年9月から大塚平安教会牧師、ドレーパー記念幼稚園園長に就任する。40歳になっていた。最初の数年は、子供たちの園長呼称は「園長先生」であったが、数年後には「園長パパ」になっていたのである。その頃は43歳頃であったと思う。子供たちのお父さんより年齢が上になるが、それでもそれ程変わりない存在であり、幼稚園のお父さん的存在になっていたのである。今でも忘れられないで耳に残っている子供たちの声がある。牧師館は歩道橋のすぐ横にある。この歩道橋は教会が土地を提供して建設されたので、歩道橋の中ほどで牧師館の玄関に入れるようになっている。不思議な、ありがたい歩道橋である。その歩道橋を渡る幼稚園の卒業生の子供たちが、「園長パパー」と呼びかけながら歩くのである。呼びかけても現れないことを知っているので、「園長パパ、園長パパ」とみんなで合唱しながら歩道橋を渡っていくのである。朝のその時間は、いろいろと支度をしている時であり、いちいち答えてあげられなかったのであった。学校が終わる頃、子供たちが学校から帰ってくる時間帯も、「園長パパ」の合唱が聞こえてくると連れ合いのスミさんが言うのである。その頃は幼稚園で執務しているか、外出していることが多いので、私自身は教会の牧師館にはいないことが多いのである。
こうして親しまれていた園長パパである。しかし、その園長が60歳を過ぎ、次第に高齢化していく過程で、園長パパの呼称は消えていく。今でも「園長パパ」と親しんで呼んでくれる子供たちをうれしく思っているのである。「宿題、手伝ってえ」って言われて、喜んで応じているのである。応じたものの、その日は土曜日であり、しかも夕食時である。食事をして、しばし団欒して、その日は寝てしまう。そして、翌日は日曜日、三崎教会の礼拝説教を仰せつかっている。午前8時40分には連れ合いのスミさん、二番目の娘・星子と共に車で三崎に向かったのである。三崎教会には横横道路で「朝比奈」から「衣笠」に行き、そこから三浦縦貫道で三浦半島の林に出る。そこから一般道で三崎に行くのである。
三崎教会には1969年4月から、神学校を卒業して最初に赴任した青山教会の教会員である山田満枝さんがおられることについては、今までのブログに記している。礼拝が終わると、いつもおいしいお寿司屋さんでご馳走してくださるのである。その後はマホロバというホテルの様な所に行き、そこの喫茶室でお茶をいただきながら語らうのであった。24日もいつものコースでお交わりを深め、帰宅したのは午後4時頃であった。本来なら、そこで横になって休むのであるが、そうもしていられない。宿題のためのアドバイスを考えなければならない。日曜日の夕刻6時頃には連絡することになっている。その時間が迫っている。大急ぎで宿題に対するアドバイスに取りかかる。終わったのが7時頃であり、宿題のアドバイスはメールに添付して送る。喜んでくれたことは言うまでもない。
今後も「園長パパ、お願い」なんて頼まれることがあるのではないか。にやにやしながらメールを送ったのであった。



30年間在任したドレーパー記念幼稚園。



11月の礼拝でクラスごとに祝福を与えている。



まもなく卒業する年長組のお友達とお弁当を食べる。



収穫感謝祭で全園児と会食会。