鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<336>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<336>
2015年5月23日「尊重しつつ」


聖書の言葉
アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろな物を見ていると、「知られざる神に」と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。
使徒言行録17章22-23節)


イスラム原理主義と称する人々が、古代からの大切な遺跡を破壊していると報道されている。アラーに絶対服従の信仰として、偶像なる存在は徹底的に破壊するのである。もうかなり以前のことであるが、原理主義と称する輩が、古代の仏教遺跡、岩に掘られた大仏を爆破する模様がテレビで報道されていた。文化遺跡を次々に破壊することに対し、良識ある世界の人々は眉をひそめているとも報道されている。古代の文化遺産と言われるもの、今でも信仰の対象になっているので、原理主義者は破壊するのであるが、この文化遺産で人々が養われてきたのであり、その社会を尊重しなければないのである。破壊しながら自分達の世界に引き込もうとしているのであるが、信仰は暴力には屈しないのである。
どこの世界も同じような歴史を持つものである。キリスト教でも大切な文化遺産の破壊が行われている。ローマ帝国キリスト教を迫害するようになる。もともとローマは全ての宗教には寛容であった。ローマの世界には神々があふれていたのである。偉大な存在は神になり、人々から崇められるようになっているのである。しかし、キリスト教一神教であり、人間を崇拝することはない。その意味でもローマに多く住んでいたキリスト者たちは、ローマの意向に沿わない生き方をしていたのである。ローマの皇帝は自らを神というようになり、崇拝を求めるようになるのである。絶対に従わなかったのがキリスト教の人々であった。それでローマはキリスト者を迫害するようになる。迫害しても、信仰を持ち続けるキリスト者に対し、次第に考え方が変わってくる。大雑把に記せば、皇帝コンスタンティウス(在位、紀元337-361年)がキリスト教を容認する方向としたのである。ようやく迫害の時代が終わる。そしてキリスト教ローマ帝国の国教になるのは紀元388年である。皇帝テオドシウスが当時の元老院に圧倒的な多数で「キリスト教を国教にする」ことを採択させたのである。さあ、それからが大変になる。キリスト者は迫害のさなか、苦しみつつ生きてきたが、今や堂々と歩けるようになる。今までキリスト者でなかった人々も、急にキリスト者の顔になり、改革を進めるようになるのである。ローマは神々の世界である。至るところに飾られ、安置されている偉人や強者たちの像が破壊されて行くのである。今までの皇帝の像も各地に置かれているが、ことごとく破壊されて行く。いわゆる古代遺跡、文化遺産が破壊されて行ったのである。今の原理主義の輩と同じことをキリスト教の世界でも行ったのである。
この時、一つの笑い話が生まれる。皇帝マルクス・アウレリウスは紀元138年頃の存在であるが、彼が書いた「自省録」は今でも残されている。賢帝と言われた人である。キリスト教がローマの国教になったとき、各地に置かれていた皇帝たちの像は破壊されて行くのであるが、このマルクス・アウレリウスの像は破壊されずに今日まで残されており、私自身もその像を見学したものである。なぜ破壊されなかったのか。実は当時の人々はマルクス・アウレリウスの像を皇帝コンスタンティウスの像と間違えたと言っているのは塩野七生さんである。塩野さんの「ローマ人の物語」とか「黄金のローマ」の中で記している。本来なら破壊されていたのであるが、キリスト教を容認することへと導いたコンスタンティウスに人々は心から感謝し、尊敬しているのである。今はローマのカピトリーノの丘の中央にマルクス・アウレリウスの騎馬像が置かれているのである。もともと騎馬像はローマ市の南の方にあるラテラノ教会の前の広場に、いわば放置されていたのである。それをミケランジェロの発案でカピトリーノの丘に運び上げられたと言われる。重さ1トンもある騎馬像の移動は大変であったようである。破壊されなかったおかげで、今やローマ時代の賢帝として、見学者のまなこを受けているのである。破壊しなかったマルクス・アウレリウスであるが、破壊してしまった遺跡、文化遺産に対して、ローマの人々はじくじたる思いでマルクス・アウレリウスカピトリーノの丘においているのではないだろうか。
2012年9月から2ヶ月間バルセロナに赴く。その時、羊子が我々夫婦をローマ、ヴァチカンに連れて行ってくれる。ローマの道は歩きにくいし、結構坂がある。腰を痛めている連れ合いのスミさんを車椅子に乗せ、羊子と共にカピトリーノの坂を押して登ったことが懐かしい思い出となっている。三泊四日の旅であったが、まだまだ見ておきたい場所を残している。ローマは神々と唯一なる神とが混在する社会である。互いに尊重しつつ、その存在があるということである。実際、サン・ピエトロ大聖堂を見学し、コロッセオと言われる競技場、人間の力をほこる場を感心しながら見学したのであった。



ローマのコロッセオを見学する。
人間の力を誇示した遺跡でもある。



ヴァチカンの大聖堂。
神様を基とする場であり、現在もカトリック教会の中心である。



生き残ったマルクス・アウレリウスの騎馬像。
カピトリーノの丘で。写真の右下にスミさんと羊子が見学している。



それでも破壊されなかった偉人たち、強者たちの胸像の群。
以上の写真は2012年9月にローマを訪れたとき。