鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<333>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<333>
2015年5月15日「思い直すことども…」


聖書の言葉
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。
詩編23編1-3節)


 若葉薫る季節とは、丁度今頃であり、新緑を楽しみつつ散歩している。誕生日に娘の星子が散歩用の靴をプレゼントしてくれたので、「今までの靴はまだ履けるのに」と言いながらも、翌日から履いているのである。やはり新しい靴はクッションも良く、なんか雲の上を歩いているようだ。靴がひとりでに前に進んでいくという感じである。そのクッションを喜びながら、新緑を楽しみつつ歩いている。
その新緑を、今の歳になって、思い直していると言ったのは、お寺の和尚さんである。4月29日に私の三番目の姉の三回忌が行われた。姉は2013年4月30日に亡くなる。私達夫婦がマレーシア・クアラルンプール日本語キリスト者集会のボランティア牧師として赴いている時であった。姉の訃報を我が家の子供の優が電話で知らせてくれる。しかし、マレーシアに滞在していたので葬儀には列席できない。そのため姉の連れ合いに電話で連絡したのであった。3月13日から6月4日までの務めであり、帰国するや姉の遺影の前に佇んだのであった。姉夫婦は鈴木家のお寺の和尚さんに関わりを持つ様になっている。それは姉の連れ合いの母の葬儀を鈴木家のお寺の和尚さんにお願いしたからである。だから、姉が亡くなったとき、連れ合いはやはりその和尚さんに葬儀を依頼したのである。
姉夫婦の墓地は横須賀市の衣笠にある公園墓地の中にある。三回忌には和尚さんが来られ、お経を上げてくれる。私の両親が前後して亡くなり、その葬儀は浄土真宗で行われる。父の葬儀が終わり、これからはこの和尚さんとも会わなくなると思っていたが、姉の葬儀に関わり、和尚さんとはよほどの因縁があるようだ。29日の姉の三回忌の始まる前、また終わってからもこの和尚さんとお話しをしている。鈴木家の息子はキリスト教の牧師であるということを知っているのである。その和尚さんが三回忌で短く奨励を行ったが、印象に残っている。和尚さんとしては昔から晩秋が好きであったという。中でも錦秋は心を躍らせつつ鑑賞していたという。しかし、この歳になってという。私より少し若いので60代半ば頃と思われる。今は新緑の季節、若葉の季節に思いを深めているという。若葉は命の躍動を示され、新しい命へと導かれると言われる。姉が新緑の季節に亡くなったことは、新しい生命への導きであると言われたのであった。公園墓地でもあり、中央は芝生広場であり、親子連れが楽しく過ごしている。体の隅々まで浸みこんでくるような緑の環境で、まさに新しい生命を与えられているようであった。
 どちらかといえば、私も晩秋が好きであった。落ち葉を踏みしめて山道を歩く喜びがあった。しかし、今はほとんど登山をしていない。山道を歩かなくなって、紅葉を喜びながらも、落ち葉を踏みしめる感触がなくなっているので、秋の喜びは薄れているのである。和尚さんが言っていたが、私も若葉の季節を喜ぶようになっている。本当に若葉薫る季節なのである。生き生きとした空気を吸い込んでいるようだ。この季節になると、2011年にバルセロナに赴いたとき、羊子がフランス・パリに連れて行ってくれたことを思い出す。その時は連れ合いのスミさん、二番目の娘の星子も一緒であった。羊子は私達をパリの三大美術館に連れていってくれたのである。ルーブルオランジュリー、オルセー美術館である。ルーブル美術館を見学しただけで、その日は疲れてしまう。翌日、ルーブル美術館を基点とするオランジュリー美術館まではチュルリー公園を歩いて行く。4月9日であったが、公園はあふれる若葉に包まれていた。プラタナスと言われるが、淡い緑がまぶしいくらいであった。
 若葉の美しさは、何もパリばかりではない。日本の若葉薫る季節は世界に誇る美しさがあるだろう。新しい散歩の靴を履きながら、新緑を楽しんでいるのである。



フランス・パリのチュルリー公園の若葉。



パリのエッフェル塔近くの公園で。



野島の室の木公園の若葉。



鈴木家の庭は緑一色。その中で白いテッセンがきれいに咲いている。