鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<323>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<323>
2015年4月8日「さあ、食べなさいと」


聖書の言葉
エスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知ってしたからである。イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。
ヨハネによる福音書21章12-13節)


 このところ千客万来で、普段は夫婦二人であるので、うれしい日々を過ごしている。月に一、二度は我が家の子供たちが来て、共に食事をするのを楽しみにしているが、久しぶりにお会いする皆さんと共に、昔を語らいながら過ごす。3月29日は清水ヶ丘教会時代の知人がお訪ねくださる。この方とは特に高校生時代にお交わりがあった。小学生の頃は近くの関東学院教会の日曜学校に通っていた。そして中学になると二人の姉たちが出席していた清水ヶ丘教会に出席するようになるのである。中学生であったが、高校生の集い、ぶどうの会に入れてもらう。清水ヶ丘教会日曜学校の中学科があったが、一度出席したものの、後は出席しなくなる。男子中学生が多くいて、何か圧倒されるようで気が進まなくなったのである。だから礼拝が終わると、すぐに帰っていたのである。教会に出席しても、婦人会、壮年会、青年会、高校生会等があり、礼拝後は交わりの会があったが、どこの会にも所属しなかったので、姉たちは青年会に出席したりしていたので、私は一人で先に帰っていたのである。その様な中学生を高校生の皆さんが受け止めてくれたのである。中学生であるが高校生会の交わりに入り、息が吹き替えされたのであった。そして高校生になったとき、日曜学校の中学科からの皆さんが高校生会に入って来る。中学科に出席して、圧倒された皆さんである。先に高校生会に入っていたので、先輩の様な思いで、かつては圧倒された皆さんと交わりを深めるようになったのである。高校生会をぶどうの会と称していた。その頃、横浜には私立の女子中学・高校があり、それらの学生が多く出席していたのである。29日に来られた方もキリスト教主義の学校の生徒で、一緒にぶどうの会の活動を担ったのである。その当時の写真を見ながら、懐かしい昔の話しに花を咲かせたのであった。
 翌日の3月30日にはドレーパー記念幼稚園時代の先生がお二人お訪ねくださる。そして、 一週間後の4月5日のイースター礼拝には大塚平安教会・ドレーパー記念幼稚園時代の知人が4名も出席された。そのうちのお一人が追浜にお住いの小澤八重子さんである。小澤さんについては前回のブログで報告しているので割愛しておく。やはり以前お交わりいただいたみなさんとは自ずと昔話になる。お話しが弾むうちにも、なかなか思い出せないこともあり、写真を見ながらのお話しは、やはり当時が思い出されて懐かしい思いが深まるのであった。そして4月7日にも、青山教会時代の方がお二人お訪ねくださる。青山教会には神学校を卒業して最初に赴任した教会である。1969年であるから、もう45年の昔のことである、そのうちのお一人の方は時々お会いしている。2013年11月3日に青山教会の講壇に招かれ、礼拝後は講演会の御用もしている。羊子が帰国中で礼拝後にミニリサイタルを行ったのである。その時、皆さんと久しぶりにお会いしたのであるが、今回お訪ねくださった方ともお会いしている。その方は昨年2014年4月26日に羊子のディナーコンサートにもお出でくださっている。しかし、もう一人の方は思い出せないのである。どんな方であったか、いろいろ記憶をたどるのであるが。しかし、当時の写真を見ながら、つらつらと記憶がよみがえって来る。その方が言われるには、昔六郷土手際の公団住宅に住んでいたのであるが、お泊りになったということである。アバコの研修会に出席するために泊まられたと言われるが、我ら夫婦は二人とも思い出せないのであった。この方とは年賀状のやり取りがなかったので、その存在を全く忘れていたのであるが、昔のことどもが蘇ってきて、少し若返ったようでもある。皆さんがお訪ねくださることで、後期高齢者夫婦は元気が与えられたのであった。
 元気が出たのは連れ合いのスミさんの様である。皆さんは一様に、お構いくださいませんようにと言われるのであるが、スミさんの張り切り様は、皆さんが喜ぶ食事になったのであった。物置から久しく使っていなかった飯台を出し、お寿司を作る。いろいろと工夫したお寿司は皆さんが喜んで下さる。我が家の子供たちが来るときも張り切ってお料理をするが、久しぶりの皆さんには張り切り様が異なる。そして、お客さんが来るというので、リビングをきれいに片付ける。4月7日のお客さんをもって、来客の予定はないので、もとに戻そうかと思う。しかし、折角片付いたのだから、しばらくこのままで過ごすことにしたのである。私達が知人をお訪ねすることが無いので、皆さんがお出でくださること、活力が与えられるようである。「去る人は日々に疎し」と時々言うのであるが、いまだに覚えてくださることを感謝している。



清水ヶ丘教会での高校生時代。
クリスマスの劇を演じる。頭巾をかぶっている。
1955年頃。



青山教会副牧師時代。教会学校のハイキング。
その後、子供たちはどのように成長しているのだろう。
ボールを前にしている。
1970年頃。