鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

バルセロナ滞在記「聖誕の門を仰ぎ見つつ」<1>

バルセロナ滞在記(2014年10月21日〜)<1>
2014年10月21日「バルセロナに向けて」



 再びではなく三度、バルセロナに赴くことになった。今までは2011年4月4日から5月18日、2012年9月10日から11月6日に赴いている。バルセロナに滞在するだけでも喜びであるが、折角ヨーロッパに来たのであるから、ちょっと足を伸ばせばフランスでもドイツでも行かれるのである。日本にいて国内線を利用するようなものである。だから2011年の場合はフランスのパリを訪問する。ルーブルオランジュリー、オルセーの三大美術館を見学する。2012年の場合はイタリアに行き、ローマとヴァチカンを見学する。いずれも良い経験をすることができた。今回、当初はスイスを訪問することを考えていた。スイスは宗教改革者カルバンの働きの場である。いわばプロテスタントの発祥の場でもある。それは、もしかしたら羊子がスイスでピアノのコンサートを行うかもしれないということで考えていたのである。ところが企画してくださる方の不幸があり、開催されなくなってしまう。それであきらめたのであるが、今回はヨーロッパのどこかに行くことよりも、大切なことがあるのでバルセロナを訪問することになったのである。バルセロナでピアノの演奏活動をしている娘の羊子が結婚することになったからである。羊子は14年前にバルセロナに渡り、アリシア・デ・ラローチャ先生のもとでピアノの研鑽を深め、今では求められて各地でコンサートを開いている。神様のお導きであると思っているが、スペイン人との出会いが与えられたのであった。
 羊子はバルセロナに渡り、住んでいる家の近くにはプロテスタント教会がないので、カトリック教会に出席するようになる。それも、最初に行ったカトリック教会の神父さんは、プロテスタントの信仰を持っていても、カトリック教会の聖餐は受けられないと言われる。それで他のカトリック教会に行くと、そこの神父さんは、カトリックプロテスタントの信仰も同じであり、聖餐は共に受けることができると言ってくれたのである。そして、その教会に出席しているうちにも、導かれてミサの奏楽を行うようになったのである。そして、最近になってサグラダ・ファミリア(聖家族贖罪教会)のミサにおいても奏楽を担当するようになる。羊子がスペイン人との出会いを与えられ、結婚式について相談したところ、サグラダ・ファミリアで結婚式を挙げることを許可してくれたのである。羊子の父親がプロテスタント教会の牧師であることを知った神父さんは、それでは神父と牧師と二人で司式を行うことを提案してくれたのである。これには私自身も驚いている。あの有名なサグラダ・ファミリアで羊子の結婚式があり、しかもプロテスタントの牧師がカトリックサグラダ・ファミリアで結婚式の司式をするなんて前代未聞でもあり、これからもこのようなことは二度とないだろうと思う。
 このような事情でバルセロナ訪問になったのであるが、結婚の話は今年の5月頃であり、その後、サグラダ・ファミアでの挙式が決まっていくのである。従って、10月21日の出発まで実に長い期間であると思っていたが、その日になれば早いものである。あっという間に当日になったのであった。もっとも、この日まで飛行機のチケットや障害保険加入等で結構日にちを要する。当初は全日空で適当な飛行機を決めたのであるが、全日空はルフトハンザ航空に依存しており、全日空の申し込みでもルフトハンザ航空の運航になったのである。2011年の失敗があるので、乗継時間にゆとりのある便を選ぶ。羽田発14:05であり、フランクフルトには18:45に着く。日本時間で言えば23:45である。11時間40分のフライトである。乗り継ぎ時間は2時間20分あるのでゆとりがある。そして21:05にフランクフルトを出発し、バルセロナには23:05に到着することになっていた。ところが出発の前日に旅行社から連絡があり、出発の日はルフトハンザドイツ航空の従業員ストライキで、飛行機は飛ばなくなったというのである。ルフトハンザドイツ航空の方で代わりの便を手配してくれることになった。変わりはオーストラリア航空でウィーン経由になる。しかし、乗継時間が1時間5分しかないのである。これでは2011年の失敗を繰り返すかもしれないのである。2011年の時はスイス航空にしたが、キャンセルが多くフライトもキャンセルとなる。それでスイス航空が全日空の便を手配してくれたのである。変更はルフトハンザドイツ航空で、フランクフルト経由であった。ところがその便は乗継時間が1時間10分であった。あまり気にせずに同意してその便にしたのである。フランクフルトには少し遅れて到着する。結局、乗継時間が短いので、乗継はできなかったのである。乗り継ぎでもいろいろと手続が必要なのである。ヨーロッパに入国する手続きである。結局、フランクフルトで4時間待って次の便でバルセロナに着いたのであった。
 そのような2011年の失敗があるので、今回のフライトの乗継時間に注意したのであるが、結局、2011年と同じように乗継時間があまりない便になった。しかし、今回はそれで了承する。前回はスミさんの車椅子を申し込まなかったが、今回は車椅子を依頼している。乗り換えの時にも担当者が乗り換えの飛行機まで連れて行ってくれるのである。だから速やかに乗り継ぎができると思ったからである。このような、ちょっとしたハプニングがあり、いよいよ成田から飛び立ったのである。当初は羽田であったが、成田に変更になる。



サグラダ・ファミリア
娘の羊子の家は6階建てのマンションで、その6階に住んでいる。
毎日、目線の高さで教会を見ることになる。