鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<291>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<291>
2014年10月6日「泳ぐ世界の水しぶき…」


聖書の言葉
すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください」。イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは船から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。
(マタイによる福音書14章28-31節)



 キリスト教はクリスマス、イースターペンテコステと三大祝祭日を中心にしながら歩んでいる。これらは聖書に示される信仰の内容であるが、キリスト教の暦の中には生活上の事柄を内容とする記念日がある。「信教の自由を守る日」、「世界祈祷日」、「母の日」、「平和聖日」、「聖徒の日」、「収穫感謝日」等である。三大祝祭日と共に、これらの日を迎えては、それぞれの意義を示されつつ過ごすのである。ところで、これらの記念集会の中には「世界聖餐日」がある。10月の第一主日をその日としている。各教会では聖餐式を大切にしながら歩んでいるが、世界の人々が同じ日に聖餐式に与ること、まさに平和への祈りなのである。聖餐式こそ人々を主の御心に戻すものであり、そういう意味でも、教団総会でも教区総会でも聖餐式を執行している。
 実は、その「世界聖餐日」は私の信仰の出発点なのである。私が洗礼を受けた10月6日は世界聖餐日であった。今年は昨日の10月5日が世界聖餐日であったが、1957年は10月6日が世界聖餐日であった。普通、洗礼を受けるのは三大祝祭日の場合が多い。もちろん祝祭日に関係のない普通の日に洗礼を受けた人もある。しかし、洗礼を受ける場合、祝祭日に合わせることが多いのである。例えば、クリスマスに洗礼を受けるということは、イエス様が世をお救いになるためにお生まれになったのであり、そのイエス様のお救いに与りながら洗礼を受けるのである。イースターにしてもペンテコステにしても、その様な救いの意義があっての洗礼式でもある。それに対して「世界聖餐日」に洗礼をうけた私は、どのような意味があったのであろうか。はっきり言えば何もない。洗礼を決心したのは8月であり、12月のクリスマスまでは間があるので、10月の世界聖餐日にしましょうということになったのである。従って、私が世界聖餐日に洗礼をうけた意義というものは、その後の思いにおいて、とても大事な時であると思うようになっているのである。
 それでは、世界聖餐日に洗礼をうける意義など何にも考えないで決心した、そのあたりの出来事を振り返っておこう。私が洗礼を受けたのは高校三年生であった。小学校の頃は関東学院教会の日曜学校に通っていたが、中学になってから、二人の姉が出席していた清水ヶ丘教会に出席するようになる。長姉・美喜子さんの弟さん、次姉・清子さんの弟さんということで、教会の皆さんから可愛がられて教会生活が導かれたのである。高校生になっていたが、青年会の活動にも参加していた。ハイキングに参加したり、修養会にも姉たちと共に参加するのであった。高校三年生の夏、青年会の修養会が逗子海岸の近くの会場で開催される。お楽しみは海水浴である。水泳の時間、皆さんで泳いでいるつもりが、気が付くと牧師の倉持芳雄先生の二人だけで泳いでいるのである。他の皆さんは浜辺で遊んでいる。それで浜辺を目指すのであるが、私は思わぬことを口にしていた。牧師に向かい、「洗礼を受けたいのです」と告白していたのである。この泳ぎながらの洗礼志願告白を倉持芳雄牧師は喜んでくださり、12月のクリスマスまでは間があるので、10月第一日曜日の「世界聖餐日」に洗礼式執行となったのである。
 この珍しい洗礼志願告白は倉持先生の強烈な印象になったようである。洗礼式当日の説教では長々と泳ぎながらの洗礼志願告白を紹介する。その後、神学校日に神学生として講壇に立たせられたが、そのときも泳ぎながらの洗礼志願告白が紹介される。まだまだ続くのは婚約式の時にも、結婚式の時にも泳ぎながらの…、が紹介されるのであった。このように倉持牧師の私の洗礼志願告白の受け止め方に対して、その後、私自身がその日の意義を示されるようになったのである。「世界聖餐日」が私の信仰の出発点となったこと、その日は聖餐式によって人々が一つに導かれること、聖餐式は一生の信仰の基となること、いろいろな意義を示されつつこの日を受け止めるようになっている。出発点が「泳ぎながらの洗礼志願告白」であったが、人生を水泳にたとえることは聞いたことがないにしても、ある場合には「水しぶきを上げて泳ぎ」、ある場合には「立ち泳ぎ」でいるときもある。いろいろな泳ぎ方があったが、今はプールサイドに腰かけている心境であろうか。



洗礼を受けた高校3年生の頃。
清水ヶ丘教会の昔に開設していたミッション診療所玄関にて。



2013年3月からクアラルンプール日本語キリスト者集会の
ボランティア牧師として三ヶ月間赴く。
常夏の国であるが、プールには二回しか入らない。