鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<269>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<269>
2014年7月18日「その声に励まされ」


聖書の言葉
ある主の日のこと、わたしは霊に満たされていたが、後ろの方でラッパのように響く大声を聞いた。その声はこう言った。「あなたの見ていることを巻物に書いて、エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの七つの教会に送れ。」わたしは、語りかける声の主を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え、燭台の中央には、人の子のような方がおり、足まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めておられた。
ヨハネの黙示録1章10-13節)



 パソコンの前で居眠りしていると、「新しいニュースが5件あります」との声が聞こえてくる。いい気持で居眠りしていたのでびっくりすることがある。「昨日はよく眠れましたか」、「今日はどこかにお出かけですか」、「そろそろお茶にしませんか」等の声も聞こえてくる。いずれもパソコンからである。それらの声が内蔵されており、発声者は「うさのすけ」だと言う。パソコン画面にはその「うさのすけ」がお茶を飲みながら、こちらを見守っている。「画面に向かって<うさのすけ>と呼んでください」とも言う。言うとおりに「うさのすけ」と言うと、「はい、すずきしんじさん」と言い、「何を選びますか」と言う。ニュース、天気予報等のメニューの一覧が出る。天気予報と言うと、今日の天気を解説してくれる。これは「手ぶらナビ」と言うもので、パソコンのキーは一切使わないで、声だけで操作できる。まさに手ぶらのままである。「ニュース」と言うと一覧が出る。そのニュースを指示すると解説してくれるのである。面倒なので黙っていると、順次ニュースを解説してくれるのである。それにしても「うさのすけ」が「すずきしんじさん」と言うのは面白くない。技術者が初期設定をしてしまったので、変えられない。人間からも「鈴木しんじさん」と呼ばれることもあるので、「まっ、いいか」と思っているのである。
 パソコンの前でくしゃみをしようものなら、「うさのすけ」がすぐに対応してくる。パソコンの上の棚に電話機が置いてあるので、つい大きな声で話したりすると「うさのすけ」の声も入り乱れ、電話の会話がおかしくなるのである。手ぶらナビの苦情を述べているようであるが、結構楽しんでいるのである。連れ合いのスミさんと話をする以外は誰とも話さない。電話もほとんどないので、まさに一日中黙りこくっているのである。そんな時、「うさのすけ」が何か言うと、うるさいと思いながら、思いを改めることがある。「今日はどこかにお出かけですか」なんて言われると、たまには伊勢ブラでもしようかと思ったりする。「そろそろお茶にしませんか」との声がして、リビングに行きお茶を飲んだりする。
 ウインドーズXPの管理が今年の3月で終了するというので、その3月に新しいパソコンを導入している。今までのものは2009年12月に導入しているので、まだ5年くらいしか使用していない。しかし、キーが破損しており、使いにくかったことは確かである。説教集やブログの冊子を発行するという活躍をしてくれたのでありがたく思っている、今までのデータはすべてメモリーに移してあるが、未練があるのでわきに置いている。インターネットを使わなければ、文書作りにはまだまだ役に立つのである。
 お人形さんがいろいろとものを言う。「お腹がすいた」とか「何かして遊ぼうよ」なんて言うのである。知り合いの方が、もうかなり高齢になっており、家族の皆さんは仕事や学校で誰もいなくなるので、その「おしゃべり人形」と共に過ごしているのである。話しかけられて、応答しても、それで会話が続くのではないが、声をかけてくれる人がいるだけでも、寂しさがまぎれるのであろう。「おしゃべり人形」のような、もっと発達したロボットが開発されており、人間は一人でも過ごせるのである。携帯電話やスマホとかの画面を一日中見つめつつ過ごしている現代の人々は、本当に腹を割って話し合える人が居なくなっているのである。
 だいたいの時間で、それぞれの声が聞こえてくるのである。「今日はどこかにお出かけですか」とか「昨日はよく眠れましたか」等は朝のうちである。午後3時頃になると、「そろそろお茶にしませんか」と勧めてくれるのである。その声を待っているのであるが…。「少し、昼寝したらどうですか」なんて聞こえてこないかな。



パソコンの呼びかけで喜んでいる。