鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<266>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<266>
2014年7月9日「この生き様を書き残しつつ」


聖書の言葉
言うのも恥ずかしいことですが、わたしたちの態度は弱すぎたのです。だれかが何かのことであえて誇ろうとするなら、愚か者になったつもりで言いますが、私もあえて誇ろう。彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。イスラエル人なのか。わたしもそうです。アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです。キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。
(コリントの信徒への手紙<二>11章21-23節)



近年にない大型台風雨が沖縄に上陸している。次第に本州に接近するということであるが、十分注意しなければならないだろう。昔のことをすぐに言うわけではないが、築60年の古い家の頃、台風雨接近となると心配でならなかった。木造で雨戸があるものの、かなりガタがきているので吹き飛ばされはしないだろうか、と思うのである。そういう場合、その頃は綾瀬に住んでおり、もはや六浦の家は誰も住んでいないので、台風接近の前には、わざわざ綾瀬からやってきて、四方の雨戸をくぎ付けにしたものである。そんなことをしても屋根だって吹き飛ばされるかもしれない。そんな心配をもちながら帰って行ったのであった。さいわい古い六浦の家を解体し、新しく建築した家は風雨に耐えられるように建設されているので、台風が接近している報道であっても心配はしていない。まったく心配がないかというとそうでもない。六浦谷間の集会との名のもとにこの家で礼拝をささげているように、周囲の状況は谷間なのである。裏手というより、横手になるが、山の中腹になっている。その上は住宅になっている。コンクリート等で補強されており、いわゆるがけ崩れの防止策が処置されている。しかし、大雨によるがけ崩れ、土砂災害の報道を知るにつけ、不安がよぎるのである。
気になるのは、皆さんはあまり気にはしないだろうが、野球の巨人ジャイアンツと横浜ベイスターズが帰って来られるかということである。両軍の試合が7月8日と9日に沖縄の那覇球場で開催される予定であった。しかし、台風が接近しており、8日の試合は中止となったが、巨人は早めに沖縄に飛んでいる。本日の9日の試合も中止になりそうであるが、台風は進路を東に向けている。すなわち本州を通過するということである。明日の木曜日に東京に帰れないと、金曜日からの東京ドームでの巨人の試合が出来なくなるのである。
隠退牧師は何もすることがないものだから、皆さんが考えもしないことに気を使っている。このブログは7月2日に書いてから、その後何か書きたくても材料がなく、そのまま休んでいる。一方、ブログのカウントは確実に閲覧されており、申し訳ないとも思っている。前回のブログでは、これからしばらくは「回想の現役時代」を書きますよと公言している。それも自慢話にならないこと、功績を羅列しないことに注意しつつということであった。そのつもりで現役時代を回顧しようとすると、つい自分のしたことを持ち上げて記そうとするのである。どうしても自慢話になりかねないと思うようになったのである。現役時代、確かにいろいろなことにとりくんで、いろいろな事柄、取り組みが残されているが、それらの取り組みを改めて記す限り功績になってしまうのである。だから「回想の現役時代」を記すことは撤回することにしたのである。
昔、私が取り組んだことを記すことはやめようと思ったのは、丁度、一つの作業をしていたからである。それは「無任所牧師の所見」と題して、2010年9月25日から2011年4月1日のブログをまとめているところなのである。ブログは2006年6月1日から書き始め、翌年の2007年3月25日でストップしている。それこそ毎日ブログを書き続けたのであった。この間のブログは「鈴木伸治による福音日記」と題して上・下巻の本として出版している。これはブログを設定してくれた佐竹和平さんがブログの会社に発注して作成したのである。彼はその時代は幼稚園の職員であったが、今は幼稚園園長として重責を担っている。ブログの執筆をやめたのは多忙であったからであり、今から思うと、ブログを書いている時も多忙であったのに、よくも一日も休まずに書いたものだと、自分ながら感心している。それからしばらくの間、ブログは書かない時代を過ごすことになる。2010年9月25日から再びブログを書き始めるまでの3年6ヶ月間は、私にとっては激動の時代ということになる。2010年3月に大塚平安教会、ドレーパー記念幼稚園を退任する方向が始まり、合わせてすべての職務から解放される方向付けを持ちつつ歩んでいたのである。教会と幼稚園を退任する時、八王子医療刑務所と神奈川医療少年院の職務を退く。さらに湘北地区におけるノルトン伝道協力委員会の責任者と湘北地区協力伝道委員会責任者の職務も終えたのであった。そうそう厚木基地爆音公害訴訟を支援する会の事務局も退任している。学校法人大塚平安学園理事長、綾瀬ホームとさがみ野ホームの嘱託牧師は、大塚平安教会の後任牧師が2010年10月に赴任するので、それまで担うことになる。そして日本基督教団総会書記も2010年10月に開催された教団総会で4期8年の職務を終了したのである。
2010年9月末で横浜本牧教会の代務者を終了したとき、その時点ではまだ大塚平安教会の牧師が就任してないが、すべての職務から解放されたとの安堵の思いが募って来る。その思いが2010年9月25日からの「ブログ再開」になったのである。現役を退任する方向を見据えた激動の時代はブログを書いていなかったので、ブログを再開したとき、むさぼるように書き続ける。激動の時代を書き残しておきたかったのである。毎日のように書き続けていたブログを再びストップするのは2011年4月1日であるが、4月4日からスペイン・バルセロナでピアノの演奏活動している娘の羊子のもとに、連れ合いのスミさんと2番目の娘・星子と3人で赴くことになったからである。
2010年10月からどこの教会にも属さない無任所教師になったが、2011年6月1日付で隠退牧師届を提出する。そこからは隠退牧師になったのであるが、今までの執筆への思いがどっと出で来る。そして、それらの執筆はすべて冊子や本として発行している。皮切りは大塚平安教会退任にあたり、牧会30年記念として説教集「最初の朝餐」を教会が発行してくれた。以後、「スペイン滞在記」(2011年9月)、「隠退牧師の徒然記、上・下巻」(2012年12月)、「受難の門を見つめつつ。バルセロナ滞在記」(2013年9月)、「常夏の国にて。マレーシア滞在記」(2014年1月)、「隠退牧師の徒然記。第三巻」(2014年6月)を発行している。説教集は第二集として「主の導きに委ねつつ」(2012年5月)、第三集として「新しい命」(2014年3月)を発行している。後は今手がけている「無任所牧師の所見」、説教集第四集「時の到来」を発行することである。そして、今書いているブログ「隠退牧師の徒然記」の第四巻を発行することだろう。
「回想の現役時代」を書くと公言したことで、それを撤回したのは、近日発行の「無任所牧師の所見」に現役時代の回想が記されているからである。何回も書く必要はないと思ったのである。本当にこれだけ書けば、一人の牧師の証しとして残されると思っている。



今まで書いたブログを本や冊子として発行している。



今まで発行した説教集。