鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<245>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<245>
2014年4月30日「大切な物なので」



聖書の言葉
だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなた方の天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。
(マタイによる福音書6章25-26節)



30年間と6ヶ月、在職した大塚平安教会が会堂を新しくする。新会堂建設は私が在職中も建設計画を進めていたことである。なかなか難航したのは複雑な土地事情による。海老名市と綾瀬市の境界上にあり、また隣家とも土地の相互乗り入れをしたりしているので、それらを解決しなければならなかったのである。在職中も交渉したり、話し合ったりしていたことであるが、なかなか進まなかったのである。しかし、いずれもクリアできたようで、いよいよ建築工事に入ることになった。現在の会堂は1968年に建設されている。そして、今回新しく建設するのであれば、46年間、この会堂で神様のご栄光があらわされたことになる。そのうちの30年間は鈴木伸治牧師が在職しているので、ほとんど鈴木伸治牧師の時代の会堂であったということになる。創立40周年には、礼拝堂内部を改修しており、使いやすい会堂になっている。
その会堂がいよいよ取り壊されることになり、羊子がスペイン・バルセロナから一時帰国していることもあり、家族で今までの会堂に別れを告げに行くことになった。4月25日のことである。子ども達はこの教会、そして教会の中にある牧師館で成長している。羊子と星子は東京の芝白金で生まれ、その後は陸前古川教会の牧師館で成長することになる。その古川で百合子が生まれ、1979年に大塚平安教会に移り住み、教会の屋根の下で成長するのである。羊子が10歳、星子が8歳、百合子が5歳の時である。以後、幼稚園時代、小学生時代から中学、高校、大学時代を大塚平安教会の屋根の下で過ごすことになる。2010年3月には引っ越しをして六浦の家に移り住むようになる。もっともその頃の子供たちは家を離れ、それぞれの場で過ごしていた。しかし、今までの物はそのまま家においていた。中でも屋根裏部屋には子供たちの物が結構おかれたままになっている。引っ越しの時、そこまでは見なかったのである。そのまま処分してもらうつもりでもあった。しかし、やはり大事なものが置いてある、というわけで、その屋根裏部屋をチェックすることにしたのである。
屋根裏部屋をいつ造ったのかは定かではない。防音工事が許可され、天井の張替えが行われる。その時、張り替えられた天井を見るために屋根裏を覗く。すると結構なスペースがあり、ひとつの部屋になるのではないかと思ったのである。その時の大工さんは出入りの水出さんであり、こちらの要望を聞き入れてくれたのである。屋根裏部屋は子供たちの勉強部屋にしたのであるが、子供たちが成長してそれぞれの場に住むようになったので、それほど長く使用したのではない。しかし、子供たちはいろいろな物を納めているので、まさに大事なものがしまわれているのである。そして、屋根裏部屋は物置になっており、不要な物の置場にもなっている。25日は三人の子供たちと共に屋根裏に上がり、ひとつ一つの物をチェックする。ほとんど不要なものであるが、子ども達にとっては大切なものが出てきたようである。聖文舎発行のアーチブックが出てきたときには歓声が上がる。子ども達が小さい頃、寝ながら読んであげた絵本である。中でも「宿屋の娘の物語」は涙を流しながら聞くのであった。これこそ大切な絵本であり、小さい頃の本との出会いであったのである。いろいろと拾い上げたが、さてこれらをどこにしまうのか、置くのか、それが問題でもある。
星子が気がかりなのはステンドグラスをどうするのか、ということである。クリスマスに窓につけるセロファン作りであるが、ステンドグラスがある。昔の青年たちが苦労して作成したのである。制作した一人として、星子はステンドグラスの行方を案じている。もし処分するというなら、自分が作ったステンドグラスを手元に置きたいのである。思い出の物は手元に置いておきたいというのであれば、創立40周年の時、会堂を改修したのであるが、聖壇の壁には12本の柱と梯子、そして十字架がかけられている。12本の柱は弟子の数であり、イスラエル部族でもある。梯子は天国への架け橋でもある。これらは私の設計で聖壇を形造っているのである。記念に取っておきたいのであるが、まさかこれだけのものは家の中に置けない。大工さんにこのようなものを作って欲しいと模型を作って提示している。その通りに作ってくれたのである。その模型は今でも私の寝室に飾られている。それだけで思い出となるだろう。
30年間、住み慣れた場であり、職務の場でもある教会、牧師館が取り壊され、新しい会堂になる。大塚平安教会の思い出と言えば、やはり今までの教会のたたずまいである。しかし、もはや消えてなくなるとなれば、写真だけが思い出の原点ということになる。
建設されて46年間、大塚平安教会は地域の人々に神様の平和を宣べ伝え、主イエス・キリストの十字架の救いという福音を宣べ伝えてきた。この会堂を通して神様ご栄光をあらわすことができた感謝をささげなければならない。



聖壇を背景に最後の記念撮影。



教会の屋根の下で成長したものの、初めて聖壇に上がっての記念撮影。



大塚平安教会のたたずまい。