鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<239>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<239>
2014年3月30日「御言葉に向かいつつ」



聖書の言葉
モーセイスラエルのすべての人にこれらの言葉を告げた。それは、ヨルダン川の東側にある荒れ野で、一方にパラン、他方にトフェル、ラバン、ハツェロト、ディ・ザハブがあるスフに近いアラバにおいてであった。第40年の第十一の月の一日に、モーセは主が命じられたとおり、すべてのことをイスラエルの人々に告げた。
申命記1章1-5節)




説教集第三集「新しい命」を発行した。2014年3月21日を発行日としたのは、この日が私たち夫婦の結婚記念日であるからだ。45年の記念日である。説教は一人私が作成しているのではなく、やはり連れ合いのスミさんの祈りがあり、協力があって作成されるのである。その意味でも結婚記念日を発行日としたことについては意味深いと思う。説教集は出版社から発行したのではなく手作りである。印刷はパソコンで行い、製本は「とじ太君」という簡易製本機がしてくれる。専用のファイルに印刷した説教集を束ねて差し込むだけで製本してくれる。今回は20冊の発行であるので、一ページを20部ずつ印刷していく作業、そして印刷したものを組んでいく製本の過程が大変であり、他はそんなに苦労もなく制作できたと思う。すでに説教集第二集「主の導きに委ねつつ」を発行しているので、制作は楽なものである。
説教集は第一集として「最初の朝餐」と題し、大塚平安教会が出版してくださった。30年間の牧会の記念として、退任記念として出版してくれたのである。説教集については1999年の教会創立50周年の時にも発行することになっていた。しかし、私自身が準備できなかったので幻の説教集となったのである。「最初の朝餐」を発行したとき、説教の原稿はすでに整理してあったので、速やかに発行作業に入ることができた。2007年9月30日に教会の修養会が開催される。修養会は午後からであるが、その日の礼拝説教は修養会の開会礼拝を兼ねていたのである。後日修養会の報告書を発行するので、礼拝説教の原稿が必要である。そのため、語り言葉で原稿を書いておく。その習慣、説教を語り言葉で書くことはその後も続けられることになり、翌週の日曜日には「前週の礼拝説教」として配布するようにしたのである。その習慣は今でも続けられており、六浦谷間の集会における礼拝では、その日の礼拝説教をプリントし読み上げるのである。説教はブログで公開するので礼拝をささげながら、誤字脱字表現の校正にもなる。
説教集「新しい命」は2009年4月から9月までの大塚平安教会における説教をまとめたものである。そして2009年10月から2010年3月までの説教集を「時の到来」として発行する予定である。それにより大塚平安教会における最後の3年間の説教集を残したことになる。大塚平安教会には30年間と6ヶ月在職したが、その働きの一つとして説教集を残しておくことは、時代の証言であると思っている。だいたい説教集なるものは読まれないものである。私の書棚にはいろいろな皆さんの説教集が並んでいる。日本基督教団出版局が「日本の説教」として歴史上の人々の説教を出版している。バルト説教集も書架に並んでいるが、いくつかを読んだとしても、ほとんど読んでいない。説教集を発行しても、普通は読まないのが常である。説教の一つくらいは読んでも、あとは本棚に置かれているだけである。そんな意味もあるので、「最初の朝餐」はなるべく写真を多く取り入れたのである。時には写真を見るために手にしてくれるからである。
説教集は読まれないものである、と言いながら発行するのは、神様への報告書と思っているからである。皆さんが読んでくださる、くださらないに関係なく、神様への報告書として発行しているのである。聖書に向かい、時代に即した御言葉として受け止めているか、この時代に何が示されているのか、その様な報告の意味で発行しているので、説教集という本を、見詰めてくだされば、それで私の生きた証となるのではないかと思っている。読まれなくても、目につく所に置いておいて下されば、それでよいということである。



説教集第三集「新しい命」



説教集第二集「主の導きに委ねつつ」