鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<221>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<221>
2013年12月29日「余生を確認しながら」


聖書の言葉
神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました。この知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
(ローマの信徒への手紙16章25-27節)



クリスマスが終わり、26日の午後3時頃にはいつもの通り散歩に出る。街中がクリスマス飾り一色であったのに、跡形もなく消えていた。金沢八景駅付近にあるケンタッキーの店の前に置かれている「ケンタッキーおじさん」もサンタクロースの衣装から、いつものように白いスーツ姿になっていた。追浜のヨコサンの中にある不二家のペコちゃんもサンタさんの衣装から着物姿になっていた。もうお正月の衣装なのである。そうクリスマスが終わればお正月の松飾りになるのである。それにしてもこの変身は見事なものである。まあ、これも日本の風物詩なのであろう。この年も終わろうとしている。願うことは新しい年も祝福の歩みである。
27日は牧師有志の集いが、横浜の関内で開かれた。例年であれば、年末になると伊豆の河津まで行き、知り合いの割烹旅館に泊まり込みで有志の会を開いている。「知り合い」というのは、もとは横浜の蒔田に店を開いていた。教区の会議が終わると、有志で食事をしていたのである。それが河津に転居し、割烹旅館を開いたというので、誠に遠いのであるが、店の夫婦を励ます意味でも出かけていたのである。ところが、今年は閉鎖の方向であると言うので、遠くまで行かなくても近くで行うことにしたのである。それも夕刻ではなく、お昼の時間帯である。夕刻の開催は身体的にも大変になっているのである。それで昼食をいただきながらの集いとしたのであった。体力的なものであるが、集まる有志はみな70歳を過ぎているのである。集まって何を語らうのか。別に目的もなく、それぞれがこの一年を生きた証を語りあうというものである。自ずと病気や体の痛み等が話題になる。そしてどう対応するのか、助言したり体験談を語ったりするのである。もう若くない有志の皆なのである。6名が集まったが、隠退しているのは2名であり、他の4名はまだ現役として勤めている。今年も伊豆の河津で開催するというなら、今回は参加しないことにしていた。わざわざ伊豆まで出かけるのも億劫になっているからである。その気持ちは皆も同じであったようである。知り合いの割烹旅館が駄目なら、他の旅館で開催することなど考えない。知り合いの旅館だからこそ出かけていたことは皆の思いである。だから横浜で、それも日中の開催は、誰もが願っていたことのようだ。そう言う年齢になっていることをつくづくと思うのである。
この牧師有志の会は、辿ってみれば歴史が古い。1979年に宮城県の教会から大塚平安教会に赴任する。その頃は有志の会は無かったと思う。そして赴任して2、3年後から開くようになる。参加する一同は現役で活躍している牧師達である。年末になり、クリスマスが終わって、ホッとしたところで開催していたのである。神奈川県の県央には保養地帯が多い。七沢温泉、飯山温泉、鶴巻温泉等、遠くまで出かけなくても温泉地がある。繰り返しそれらの宿を利用しながらも、少し足を伸ばしてみるかというわけで伊東温泉に出かけたりしている。伊東温泉は一人の牧師の知り合いが温泉旅館を経営しているので利用するようになったのである。骨休みをしなければならないのは牧師の連れ合いであり、同伴で開催したこともある。当初は夫婦一部屋で宿泊できたが、男性と女性の部屋割になる。旅館としても団体で申し込んでおきながら、夫婦一部屋では割にあわないのである。男性は構わないのであるが、夫人達が離脱し始める。女性同士一緒に泊まるのは遠慮したいというわけ。それで、結局は牧師の有志の会に戻ってしまう。
それでも毎年有志の会が開かれることは、まだ健在を確認する意味でも意義がある。この年になれば、やはり病で静養している牧師達もおり、彼らを祈りつつ集いを開いているのである。やがて順次見えなくなる存在を意識している。葬儀の話題になると、彼には弔辞を言ってもらいたくないなんてあからさまに言い合う。長い間、今も現役で担っている者もいるが、今まで牧会を担って来ている。今のうちに労っているのである。神様が労ってくださるその日も遠くはないであろう、と思いつつ。なお祝福の日々を祈りたい。



横須賀上町教会で祝祷する。