鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<205>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<205>
2013年11月14日「恵みの雨となり」


聖書の言葉
愛する人たち、あなたがたを試みるために身にふりかかる火のような試練を、何か思いがけないことが生じたかのように、驚き怪しんではなりません。むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど喜びなさい。それは、キリストの栄光が現れるときにも、喜びに満ちあふれるためです。
(ペトロの手紙<一>4章12-13節)



11月9日は横須賀上町教会でチャリティー・ピアノコンサートが開かれたが、翌日の10日もまた横須賀上町教会に赴く。第二日曜日は同教会で説教、聖餐式を担当しているのである。それと共にこの日は洗礼式が執行された。かねてよりお交わりを持っていた西尾弥生さんが洗礼を志願し、この日に執行することになったのである。西尾さんは私たちが横須賀上町教会に赴く時はいつも一緒に出席していた。また、時には六浦谷間の集会や大塚平安教会の礼拝にも出席している。もはや隠退牧師になっているので、洗礼式の機会は無いと思っていたが、嬉しい志願をいただく。横須賀上町教会の牧者は来年の秋には正教師試験を受験し、再来年の2月には按手礼を受けるので、その時点で私の横須賀上町教会のお務めは終了することになる。それまでは私が聖礼典(洗礼式、聖餐式)を担当するのである。この日は羊子が帰国中であり、私達家族の友達でもある西尾さんをみんなでお祝いする意味でもこの日にする。横須賀上町教会の奏楽奉仕をされる方が、所用で来られないこともあり、羊子が礼拝の奏楽奉仕をする。
礼拝は午前10時30分に始まるが、この日は洗礼式、聖餐式があり、礼拝が終わったのは12時近かった。いつもは礼拝後にお茶をいただきながらお交わりの時があるのであるが、この日はすぐに失礼することになる。午後2時からは三崎教会のチャペルコンサートが開かれるからである。横須賀上町教会から三崎教会まで、車の混み具合によるが40分くらいである。それにしても食事をする時間がない。どこかコンビニでおにぎりやサンドイッチを求めて、車の中で食べながら向かうつもりでいた。すると横須賀上町教会の皆さんが、おにぎりとお茶を用意してくださり、持たせてくださったのである。また、連れ合いのスミさんがオムレツを作って持参しているので、私達家族五人と西尾弥生さんとで六人であり、二台の車に分乗して、美味しいおにぎりをいただきながら三崎教会に向かったのである。
この日は雨模様であり、三崎教会に到着した頃からぽつぽつと落ちてきていた。三崎教会にはいつも礼拝に出席される皆さんがコンサートに来てくれる。始まる頃は雨となっており、それでも皆さんが来場くださり、約50名近くはおられたと思う。羊子のピアノ演奏に聴き入って下さる皆さんであるが、プログラムの数曲を弾いたとき、羊子が司会をされておられる方に、聖壇に雨漏りがあることを告げる。思わず皆さんは笑ってしまったのであるが、聴衆は気がつかないのに、演奏者が雨漏りを見つけたことである。教会の役員さん達は、つい最近雨漏りの修繕をしたばかりなのにと言われながら、雨漏りの部分に雑巾等を敷くのであった。それにしても、演奏者がよくも雨漏りを見つけたかと驚く。聴衆は演奏者を見つめている。演奏者は、アップライトのピアノが斜めにおかれているが、聖壇の中央にある講壇に向かうことになる。羊子は演奏中、時には上を見上げながら弾くのである。だから雨漏りに気づくことになる。
以前、友人がある教会の献堂式に臨んだことを話していたことが思い出される。その頃、若かった友人は教会の二階席にいる。皆さんが立派な教会が完成して、建築会社や設計者に感謝状を贈ったりしているとき、どうも頭が濡れることに気づく。雨漏りであった。りっぱな教会ができて、皆さんが喜んでいるとき、雨漏りがしていることは言えなかったという。後で教会の牧師に伝えたというのである。コンサートは献堂式ではない。早く雨漏りを言わないと聖壇がびしゃびしゃになってしまう。聴衆の皆さんは羊子の演奏に感動すると共に、演奏しながらも雨漏りを見つけてしまったので、驚くばかりであった。雨漏り指摘が、羊子の人間性が示され、演奏者と聴衆が一体となったのである。演奏が終わったとき、アンコールを求める拍手は、大きな手拍子となり、礼拝堂に鳴り響いたのである。
雨漏りはむしろ恵みの雨であったのかもしれない。



三崎教会でピアノの演奏をする。



CDを販売し、サインして差し上げる。