鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<201>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<201>
2013年10月25日「自分の弱さを誇りつつ」


聖書の言葉
すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。
(コリントの信徒への手紙<二>12章9-10節)



 「教団新報」が送られてきた。「教団新報」は日本基督教団の歩み、取組みを報じているので、現役を隠退しても、教団の動きを示され、有難く読んでいる。「教団新報」を手にして、最初に目を通すのは「消息」欄である。逝去された教職を報告しているからである。今までも神学校時代の同窓生や交流を持った牧師達の逝去の報告を示され、「ごくろうさんでした」と言いつつ、コメントを読むのであった。今回は甲田武典牧師の逝去が報告されていた。2013年9月1日に逝去され、81歳であったと言われる。彼とは神学校時代の友であり、一級上であったが、親しくしていたことが思い出される。知り合いの牧師達が順次、この欄で報告されていくことになり、いずれは自分もと思いつつ、牧師として長い間、牧会された皆さんを示されるのである。
 ところで、今回の「教団新報」は年金特集号でもある。日本基督教団は年金局を設けており、隠退した牧師を支えている。牧師は在職中に年金掛け金を納めるが、牧師が三分の一、教会が三分の二を負担している。そして11月の第四日曜日を「謝恩日」とし、当日は全国の教会に謝恩日献金を依頼している。これらが年金の財源であるが、各教区も教区財政から年金局へ献金をささげている。さらに、「隠退教師を支える100円運動」が展開されている。全国の日本基督教団教会員が月に100円をささげているのである。その「隠退教師を支える運動」からも年金局への繰入金があり、年金の財源としているのである。その年金を受給している隠退教師は、2012年8月31日現在で、505名であり、遺族は264名である。これだけ多くの隠退教師に年金が支給されているので、年金局も祈りつつ財源を確保しているのである。年金をいだいている者として心から感謝を申し上げる次第である。
 年金特集号には隠退教師近況報告が紹介されている。年金を受給されるようになった感想を記すのであるが、年金受給を喜び、感謝しつつ報告されている。大阪教区の茨木春日丘教会を最終任地として隠退された軽込昇先生は教団の教師委員会で共に担っている。私が教団書記になったときには教師委員会委員長になられ、常議員会等の会合ではお交わりをいただいている。その先生の近況報告は、「隠退を待っていたかのように、前立腺にガンが発見されましたが、初期ということもあり放射線治療で対処できました」と記されている。神奈川教区でお交わりいただいた今橋朗先生も近況報告をされている。「非才にもかかわらず、憐れみによって半世紀近く教会・教区・教団・神学校で用いられました。格別、蒔田教会に46年、日本聖書神学校(兼任)で30年間継続して働くことができたことは不思議なお導きでした。現在、入退院療養生活3年目です。体調の比較的好い日には、車椅子で散歩に出たり、翻訳などいたします」と記されている。
 その他の隠退教師の近況報告を読むとき、身体が壊れるまで牧師として働いてきた皆さんを示されるのである。重い課題を示されながら、祈りつつ牧会を担った皆さんが隠退すると、どっと疲労が出てきて病の発祥となるようである。現役中であるが、病におかされて、止む無く隠退する先生もおられる。以前、年金局関係者の方が、「牧師先生には72歳まで頑張っていただくと、年金局としても財源が確保できるのです」と言われていたことが心に示されている。頑張って、頑張って牧師は働き続けるのである。その結果、病となり、障害が出てくるのである。私の場合は、大塚平安教会を退任したのは2010年3月であり、70歳であった。そしてその年の5月には71歳になる。退任後は横浜本牧教会の代務者を半年間担い、その後は無任所教師として過ごしてきたが、2011年6月をもって隠退したのである。72歳になっていた。年金局が希望する年齢に隠退したので、責任を果たしたと思っている。大塚平安教会を退任した時にも、隠退した時にも、皆さんから言われたことは、「まだ、まだ、お働きができるのに」、「10年早いのではないですか」ということであった。先のことは分からないが、10年先まで働いていたら、身体がぼろぼろになってしまうとも思っている。まだ余力があるうちに隠退できたことを感謝しているのである。「元気なうちに隠退できて、本当に良かった」とは連れ合いのスミさんの言葉である。そのスミさんとは、娘がスペイン・バルセロナでピアノの演奏活動をしているので、2011年、2012年、それぞれ二ヶ月ずつ行ってこられたし、2013年3月から3ヶ月間はマレーシア・クアラルンプールのボランティア牧師としても、連れ合いのスミさんと二人で赴くことができたのである。余力があったからである。
 余力があるから、いくつかの教会から説教者としてお招きをいただく以外は、六浦谷間の集会として、連れ合いのスミさんと礼拝をささげている。そのために毎週の説教を作成し、ブログでも公開している。隠退牧師であるが、教会に所属していないだけで、現役と同じように働いているのだが。しかし、牧会がないというだけで大きな休息なのである。



六浦谷間の集会週報



週報・礼拝順序、報告等