鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<200>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<200>
2013年10月23日「日々、ごちそうさんと言いながら」


聖書の言葉
ペトロは祈るために屋上に上がった。昼の12 時ごろであった。彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に降りてくるのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、「ペトロよ、身を起し、屠って食べなさい」と言う声がした。しかし、ペトロは言った。「主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことはありません」。すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない」。こういうことが三度あり、その入れ物は急に天に引き上げられた。
使徒言行録10章9-16節)



久しぶりに自分で作ったカレーライスを食べたくなる。所望すれば連れ合いのスミさんが作るのであるが、ここは自分で作りたいのである。もともと厨房に入るのは嫌いではないが、通常は連れ合いのスミさんが作るので、ご飯の支度の必要もない。しかし、時には自分で作りたくなるときもある。厨房に入って、美味しいお料理を作ることなんてできないが、カレーライス、味噌汁、おでんくらいはできる。野菜を煮込んで、それなりの味付けをすればよい訳である。もちろんご飯も炊ける。パン食の時はスクランブルエッグ、フレンチトーストも作るので、昔を思い出しながら、やって着た子供達も喜んで食べてくれる。子供たちが小さかった頃、卵料理を作ってあげていたことを思い出すのである。
さて、カレーライス作りであるが、じゃがいも、たまねぎ、にんじん、そしてかぼちゃを適当に切り、まずジャガイモを油で軽く炒め、その上で他の具材を入れて煮込む。最初は水を少なめにして早く柔らかくするようにする。灰汁を取り除きながら少しずつ水を足していく。具材が箸を通す柔らかさになってきたので、弱火にしてカレーのルーを入れる。今回はここで失敗する。いつもカレーのルーは市販されている家庭用のルーであるが、それがなかったので、業務用スーパーで買い求めておいた業務用カレーのルーであった。かなり分厚い塊で、つい多く入れてしまったのだ。連れ合いのスミさんが、それでは多すぎると警告をしているのを無視して。そしてできあがったカレーで夕食をいただいたのであるが、とても辛い味になってしまった。スミさんはお湯で薄めて食べていたが、作った本人は沽券にかかわるので、「まあまあだね」なんて言いながら、がまんして食べたのである。連れ合いのスミさんが、その後水を足して調整したので、味が良くなり、翌日も食べ、その翌日も食べ続ける。
世の中の男衆には、厨房に入ったことがないという人がいる。食事の支度などしたことがないという人のことを聞き、不思議な思いでいる。自分がやろうとしないからか、食事はお連れ合いがするものと決めているのであろう。料理とまではいかないが、食事の支度をすることほど楽しいことはない。NHKの朝の連続テレビ「ごちそうさん」は、なかなか参考になる。お米の研ぎ方、てんぷらの揚げ方等もドラマに出てきて、参考になった人が多いのではないかと思う。食べることが主題のようで、人間の根本的な課題でもあるので、「あまちゃん」と同じように人気番組になるであろう。
安岡章太郎さんという小説家が「死との対面<瞬間を生きる>」(光文社文庫)と題して執筆している。その中で「老いを生きる」のテーマで「妻という存在」について記している。夫婦で、家で食事をしながらたまに「うまい」などと言うと、「ねえ、あなた、私が死んだらどうするの」とすかさず問い質されるという。そんなときは「うん、困るね、これは」と言わざるを得ないというのである。安岡章太郎さんと言う人は、小さい頃から見ず知らずの人の作ったものを食べるのが苦手であったという。だから半年間、心筋梗塞で入院した時、奥さんが朝昼晩の食事を、病院に無理に許可してもらって運んだそうである。奥さんの食事でなければ食べられなかったというのである。時々、奥さんとの会話が険悪になったとき、「すぐに離婚する」と言ってしまう。すると「いいわ、いつでも別れましょう。困るのはそちらでしょう」と言われてしまうのだという。「お前に死なれたら、ロイヤルホストで食べる」と言うことにしているが、そこには煎り豆腐とか煮こごり、筑前煮とかイワシを梅干しと煮たものなどある訳がないと悲観的な思いを持っている。食べることにおいては奥さんに絶対的に依存している安岡章太郎さんの夫婦の愛を示されるのである。
それでは食事は奥さんに任せ、男は厨房に入らない方が良いということになる。奥さんに何かあった場合、例えば入院したとか長期の旅行をするとかである。実際、連れ合いのスミさんが、一人で娘の羊子が居るスペイン・バルセロナに二回も行っている。一ヶ月間のとき、二ヶ月間の時があった。その間、自分で食事の用意をしては生きていたのである。時々、教会員の皆さんがお料理を差し入れて下さってはいたが。その場合、ファミリーレストランに行くのか、あるいは配達の食事屋さんもある。自分で作らなくても生きていける世の中である。そう言う人もいるだろうが、私は少なくとも自分で作りながら生き伸びるであろう。そうであれば、若い頃から厨房に入ることを厭わない自分を喜んでいるのである。
今は二人とも元気であるので、食事のときは、とりとめもない話しであるが、それでも食生活を感謝しつつ過ごしている。今回は隠退牧師の徒然記を記しておいた。



2011年4月より二ヶ月間、バルセロナに滞在した時、
焼きそばを作る。