鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<199>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<199>
2013年10月21日「巨匠から示されること」


聖書の言葉
エスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」。そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。
ヨハネによる福音書7章6-8節)



横浜市立大学のエクステンション講座を去る10月15日に受講する。「イタリア・ルネサンス美術の3大巨匠」(天才芸術家の名作探求)とのテーマで開講されており、今回はその二回目である。第一回の時はレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に焦点が当てられ、解説された。名画としては認識していたが、解説されてからは見る目が違ってきている。第二回目の今回は「聖アンナと聖母子」についての解説である。レオナルド・ダ・ヴィンチは優れた絵画を残しているが、絵画そのものは10数点であると言われる。その中で、「聖アンナと聖母子」、「モナ・リザ」、「洗礼者聖ヨハネ」はルーブル美術館に展示されているので、一昨年に鑑賞している。また、「聖ヒエロニムス」はヴァチカンの美術館にあり、これは昨年ローマを訪ねたときに鑑賞している。「モナ・リザ」は良く知られている名画であるので、しばし足を止めて鑑賞したが、他は歩きながらの鑑賞であった。
ところで、今回は「聖アンナと聖母子」に焦点を当てて解説されたが、聖アンナがマリアの母であると説明され、何か不思議な思いを抱く。少なくとも聖書にはマリアさんのお母さんにあたる人については記されていないのである。アンナと言えば、ヨセフとマリアが幼子イエスを連れてお宮参りをしたとき、神殿にはアシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいたのである。彼女は84歳になっており、神殿を離れず、夜も昼も神様に仕えていた。そして幼子イエスに近づいたとき神様を賛美する。そして、エルサレムで救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した、と記されている。むしろこのアンナと聖母子を組み合わせて描いたのではないかと思うのである。そうであれば「聖アンナと聖母子」の絵が理解できるのであるが、アンナがマリアの母であるとの説明は、腑に落ちないままである。講師もアンナについては聖書に記されていないので、どこからの言い伝えとして絵画に登場したと解説している。この道の学者が説明しているのであるから、受け止めることにしておく。
レオナルド・ダ・ヴィンチはイタリアのフィレンツェの出身である。彼の描くいくつかの作品は聖母子と共に幼少の洗礼者ヨハネも共に描かれるのは、ヨハネフィレンツェの守護神であるからであると言われる。聖母子と密接に結びついているヨハネを絶対的にしているのである。信仰の世界を大胆に描いている画家であったと示されるのである。彼は画家であると共にあらゆる分野に造詣があり、残された文書だけでも膨大である。岩波文庫版で「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記」(上下巻)があるので求めておいた。こんな寓話を残している。
「犬が羊の皮の上に眠っていると、一匹の蚤が、垢じみた羊毛の匂いをかぎつけて、この方が犬を吸っているより暮らしも楽であれば犬の歯や爪を心配する必要もないに違いないと判断した。そこで前後の見境もなく、犬を捨てて密生した羊毛の中に入り、苦心惨憺、毛根に達しようとした。だがその企画は、いくら汗を流しても、だめだということがわかった。というのはその毛は互いにくっつき合っているほど密生していたからだ。蚤が皮膚の味をみる余地はなかったのである。それゆえ、長い骨折りと疲労のあげく、もとの犬にもどろうとしたが、犬はすでに立ち去ったあとだったから、長い後悔と苦いなげきののち、餓死せざるをえなかった」。このような面白い寓話や人生論を多数残している。人生論には次のようなものもある。
「君もし健康たろうと欲せば次の規則をまもりたまえ。食いたくないのに食うなかれ、軽く食べよ。よく噛め、摂取するものはじゅうぶん煮て、料理はかんたんに。薬を飲むものは療法をあやまるもの。立腹はやめて、淀んだ空気をさけよ、食卓をはなれたときは、姿勢を正しくしたまえ。昼間うたたねしないように。酒は適度に、少しずつ何回も。食事をはずさず、また空腹をかかえているなかれ。便所は待つな、ためらうな。体操するなら動きを少なく。腹を仰向け、頭を下げているな、夜は蒲団をよく着るよう。頭は休め心は爽快にしていること。肉欲をさけて食養生を守れ」。
絵画には驚嘆するが、残された文章も座右の銘となるのかも。



レオナルド・ダ・ヴィンチの「聖アンナと聖母子」
ルーブル見学ガイド」より。