鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<193>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<193>
2013年10月4日「まだ興味があるので」


聖書の言葉
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である」。また、杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」。
(マタイによる福音書26章26節以下)



 横浜市立大学のエクステンション講座を再び受講することになった。10月1日に第一回があり、12月17日に終了するが、全六回の講座である。再びというより四たびと言うことになる。最初は2012年4月から六回にわたり「ヴェネツィアルネサンス絵画の巨匠たち(海の都の芸術を探求する)」とのテーマで受講する。次は「マレーシアを知る(歩き方・住まい方)」で、2013年2月に二回にわたって開かれた。3月から連れ合いのスミさんとマレーシア・クアラルンプール日本語キリスト者集会に三ヶ月間、ボランティア牧師として赴くことになっていたので、これは良い準備であり夫婦で受講したのである。そして、三回目は「イスラームの歴史と教義」とのテーマで2013年7月から六回にわたり受講する。マレーシアというイスラム教国家の中で過ごすうちにも、イスラム教に興味を示すようになったのである。8月末に終了したのであるが、10月から今回の講座が開講されるので申し込んでおいた。
 今回のテーマは「イタリア・ルネサンス美術の三大巨匠(天才芸術家の名作探求)」とのテーマである。講師は塚本博さんで横浜市立大学の非常勤講師である。最初に受講した「ヴェネツィアルネサンス絵画の巨匠たち」の講師でもあった。中世時代の芸術を専門とされておられるようで、良い学びが与えられると思っている。特に今回はレオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロラファエロといった巨匠たちについてであり、興味のあるところである。これらの巨匠たちについては、その絵を見たり、歴史書に登場する人たちなので、その名は知るところであるが、はっきり言えば、詳しく調べた訳でもなく、その名が頭のどこかに残っているくらいである。塩野七生さんの地中海世界の著作を読むと、この三人の名がよく登場する。そんな意味もあって、ここは一つ、立ち止まって見つめてみようと思ったのである。
 ところで今年は揃いも揃って、この三人の展覧会が開催されている。2013年3月2日から6月2日まで、ラファエロ展が国立西洋美術館で開催された。4月23日から6月30日まで、レオナルド・ダ・ヴィンチ展が東京都美術館で開催されている。そして、6月28日から8月25日まで、ミケランジェロ展が福井県立美術館で開催されている。たまたま三大巨匠の展覧会もあって、講師はこの三人についての講座を開いたのであろう。残念ながらどの美術展も鑑賞することはできなかった。何所かでポスターを見たように思うが、機会を逸したようである。もっとも展覧会は巨匠の作品を多数展示する訳ではなく、一点か二点を展示する程度で、他はメモや素描のようなものである。レオナルド・ダ・ヴィンチ展も「音楽家の肖像」一点であり、「アトランティコ手稿」と言われるメモと素描を展示したのである。
 レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画は素通りしながらいくつかを鑑賞している。ルーブル美術館を見学した時、「洗礼者ヨハネ」、「岩窟の聖母」、「聖アンナと聖母子」、「ミラノの貴婦人の肖像」そして「モナ・リザ」である。「モナ・リザ」の前ではしばらく立ちつくして鑑賞したが、他は歩きながら鑑賞した程度である。「荒野の聖ヒエロニムス」はヴァチカンの美術館で鑑賞している。今回の講座では「最後の晩餐」に焦点が置かれ、詳しく説明される。この作品はミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院に描かれている。この「最後の晩餐」はキリストが弟子たちと最後の夕食をしているところであるが、単なる夕食風景ではない。キリストは弟子のユダの裏切りにより、時の指導者に渡され、十字架にかけられることになるのであるが、晩餐の時、そのことを弟子達に告げたのである。「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と言うと、弟子たちは一様に驚くのであるが、「最後の晩餐」の場面は、弟子達の驚きを描いているのであり、単に晩餐風景を描いているのではない。そう言われてみると、ペトロはナイフを握っていることに気がつく。今までそこまでは見なかったのである。その裏切り者を見つけようとしている姿でもある。一人一人の姿、顔を描くのに苦労したと言われる。裏切り者のユダは誰をモデルにするか、随分と悩んだという。
 巨匠たちが聖書の記録を絵画にあらわす時、もちろん聖書を深く読んでいるのであるが、登場する一人一人を深く見つめていることは、学ぶことが多いと示されるのである。



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