鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<186>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<186>
2013年9月18日「信仰の世界を垣間見る(三)1」


聖書の言葉
だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で多いなる者と呼ばれる。
(マタイによる福音書5章19節)




 信仰の世界を垣間見るということで、イスラム教と仏教を覗いて来た。信仰の姿を示されたかったのである。今度はキリスト教の信仰を垣間見ると言うとしたら、疑問に思われるのかもしれない。実際、キリスト教の信仰をもって生きているのであるから、それを垣間見るのはおかしなことである。しかし、第三者的にキリスト教を垣間見て、信仰に生きる人々を示され、イスラム教や仏教と比較するのではなく、喜びと希望をもって生きる人々を世に発信したいのである。そのような趣旨でキリスト教を垣間見ることにしよう。
 2011年4月から約二ヶ月間、スペイン・バルセロナでピアノの演奏活動をしている娘のもとで滞在した。滞在中、娘はパリの三大美術館に連れて行ってくれた。特にルーブル美術館を見学した時、イエス・キリスト磔刑画が数多く展示されている。見学していると、これでもか、これでもかと十字架のキリストを見なければならないのである。また、2012年9月からも二ヶ月間バルセロナで滞在したが、バルセロナの旧市街にあるフレデリック・マレー美術館を見学した。それほど大きくはない美術館であるが、「信仰の部屋」にはキリストの十字架像がこれでもか、これでもかと展示されていたことが忘れられない。多くの場合、ヨーロッパの美術館はキリストの十字架に関する絵画、彫像が必ず展示されているのである。キリスト教を知らない人は、気持が悪くなるくらい十字架を示されるのである。
 そのバルセロナに滞在している娘の家はサグラダ・ファミリアの目の前、100mくらいしか離れていない。しかも、西側なので「受難の門」を常に見ることになる。中心はイエス・キリスト磔刑像である。礼拝堂の内部にも磔刑像が吊るされている。毎日、多くの人々がキリストの磔刑像を見学に来ているのである。信仰をもって仰ぎ見る人、芸術として鑑賞する人、様々であるが、十字架とは何かと発信しているのである。



バルセロナにあるフレデリック・マレー美術館に展示されている
イエス・キリストの十字架像



サグラダ・ファミリア(聖家族贖罪教会)



同教会の西側、受難の門。
中心はキリストの磔刑像。



 キリスト教は十字架が信仰の原点なのである。人間の奥深くにある原罪を滅ぼすために十字架に架けられたのであり、イエス・キリストの十字架の死と共に、私の中にある原罪を滅ぼして下さったと信じて十字架を仰ぎ見るのである。その十字架の救いを信じて生きているのがキリスト教徒である。このイエス・キリストの十字架に至る道を示されておかなければならない。ところで、イエス・キリストは名前と苗字ではない。キリストとはギリシャ語で「救い主」との意味である。「救い主イエス」ということである。この「キリスト」と言う語は旧約聖書のヘブル語で「メシア」と言う。メシアは「油を注がれた者」と言う意味であり、当時の指導者、王様の頭に油を注ぎ、指導者としていた。油注がれた者は、人々を平和に導き、喜びを与える存在でなければならない。そのため、「メシア」は「救い主」と言う意味になって行ったのである。このメシアはラテン語で言えば「メサイア」になる。
 その救い主の称号があるイエス・キリストの十字架に至る道を示されることが「キリスト教を垣間見る」ことになる。西暦はイエス・キリストが生まれた時から始められている。もっとも誤差があるが、それを基本にすれば2013年前に生まれたことになる。新約聖書のマタイによる福音書ルカによる福音書にはクリスマス物語が記されているが、その後の成長の過程は記されていない。もはや30歳になっているイエス様の教え、活動が記されるようになるのである。そして、人々に現れて3年間後には、救いの完成として十字架にお架りになるのである。従って、この「垣間見る」はイエス伝ではなく、信仰の完成者、救いの成就者としてのイエス・キリストを垣間見ることになる。
 イエス・キリストが人々の前に現れた時、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、神様の御心を「宣べ伝え始められた」とマタイによる福音書は記している。そして、マタイによれば、その後、山に登られ「山上の教え」を始めるのである。その教えは「幸い」、「地の塩、世の光」から始められているが、その後は「律法」に真正面から向き、律法の守り方を示している。イエス・キリストが現れた時、「キリスト教」として教え始めたのではない。当時の社会はユダヤ教であり、人々はユダヤ教の律法、戒律の中で生きていたのである。だからイエス・キリストは新しい教えとしてではなく、律法の完成者として自分を示したのである。「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである」と宣言したのである。
 そのため、まず「律法」なるものを示されなければならない。