鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<184>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<184>
2013年9月13日「信仰の世界を垣間見る(二)4 」


聖書の言葉
このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されるのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。
(ローマの信徒への手紙3章26節)



 「宗教」とは偉大な存在に対する信仰であり、その信仰において現生を喜びつつ歩むと共に、来世の祝福を信じるのである。キリスト教イエス・キリストによって、この世を「神の国」として生きることを示されるが、それと共に「永遠の命」を得るための信仰である。イスラム教においても、戒律を厳しくするのは来世が祝福されるためである。末法、浄土思想は釈迦から示されているが、あまり前面には出て来なかったようである。それが鎌倉時代になると浄土への思いが強くなる。それは戦乱に次ぐ戦乱で、この世における喜びは皆無であり、あの世での喜びを求めるようになるからである。
 そこで浄土宗が花開くことになる。開祖の法然は、専修念仏を人々に教え、ただひたすらに「南無阿弥陀仏」(阿弥陀仏に帰依します)と念仏をとなえることで浄土へと導かれると教えたのである。「南無」とは絶対的な信仰をあらわす時に唱える語である。当時の仏教は修行が伴い、その結果において「さとり」へと導かれるのである。僧侶は厳しい修行を行うが、一般民衆はそれどころではない。生活の糧を得なければならないからである。そのため法然の専修念仏の信仰は多くの人々の希望となり、信者が増えて行くのである。法然は1133年に岡山県に生まれるが、最澄空海から約300年後に現れたことになる。この法然の専修念仏は比叡山や南都の諸寺の反発を受け、1207年には念仏の停止が命じられ、四国に流罪となる。しかし、「南無阿弥陀仏」と念仏をとなえれば救われるのであるから、もはや念仏停止を命じても浄土への思いは止められなくなる。こうして浄土宗が始まって行ったのである。
 親鸞はその法然の専修念仏の信仰に帰依する。親鸞法然より40歳年下である。法然は基本的には僧侶の厳しい道を歩んでいたが、親鸞は煩悩に悩みつつ、結局新しい僧侶の歩みをすることになる。僧侶として初めて妻帯するのである。破壊僧として僧籍を剥奪されるが、自らも「僧にあらず、俗にあらず」として、専修念仏を深めて行くのである。親鸞の信仰は絶対他力を強調している。成仏のために行うすべての計らいを捨てて、一切を阿弥陀如来にお任せする信仰である。神様に祝福されるのは「行いにあらず、ただ信仰である」とパウロは示している。この親鸞の教えが浄土真宗として教団が設立される。今日、仏教界では最大の教団になっている。
 この浄土宗は一遍をも生み出している。法然から約100年後に一遍が松山市に生まれている。この一遍は、すべてを捨てて、自分をも捨てて、人々を念仏へと導いた僧侶である。10歳で浄土宗の門下に入るが、父の死後を契機に還俗する。僧を捨てたことになるが、念仏信仰は深まるばかりで、「南無阿弥陀仏」の念仏礼を人々に配り、熱狂的な踊り念仏によって民衆を歓喜に導いたのである。当時の大名まで踊り念仏にはまったと言われる。この一遍の信仰は時宗となるのである。「智慧をも愚痴をも捨て、善悪の境界をも捨て、貴賎高下の道理をも捨て、地獄をおそるる心をも捨て、極楽を願う心をも捨て、また諸宗のさとりをも捨て、一切の事を捨てて申す念仏」こそ、弥陀の本願にかなう道であると説いたのである。
 禅宗臨済宗開祖、栄西の生まれは1141年であるから、法然とはほぼ同時代である。法然親鸞比叡山で修行しているが、この栄西も同じである。しかし、叡山の修行に見切りをつけ、中国に渡り禅を極めるのである。その中国には28歳の時、47歳の時、都合5年半の年月を禅の修行を重ねる。禅により「即身是仏」を教えたのである。
 そして道元の出現である。1200年の生まれであり、栄西に対しては60歳も下である。栄西の弟子に道元禅宗を示される。特に「座禅」により、信仰の道を導いたのである。座禅によって得られた信仰こそ、釈尊に由来するものであると示している。この道元の教えが曹洞宗となり、福井県永平寺を建立している。この永平寺が本山であるが、神奈川県鶴見にある総持寺もまた本山としている。
 日本の仏教の高僧を垣間見ているが、最後にもう一人垣間見ておかなければならない。日蓮である。今までは「南無阿弥陀仏」が念仏であったが、日蓮は「南無妙法蓮華経」の念仏を示し、新しい救いの道を開いている。1222年の生まれであるから、以上に垣間見た高僧の一番後になる。日蓮比叡山で修行するが、乱立する宗派、教説の中で、どれが釈尊の真実の教えなのか、何が末法の世を救う教えなのか、問い続けて行く中で、その答えを「法華経」に見だすのである。「南無阿弥陀仏」は「阿弥陀様に帰依します」との念仏であるが、「南無妙法蓮華経」は「法華経に帰依します」と言う念仏である。この念仏をとなえつつ生きるならば、過去の罪は消え去り、成仏できるとしている。さらに法華経を信じることにより現世利益が得られることを教えている。「法華経に帰依しないならば、国内は乱れ、他国からの侵略を招く」と公言し、「立正安国論」を世に発信している。改革的な信仰であつたため、当時の社会から迫害されることになる。迫害されながらも日蓮は仏教の改革へと向かったのである。晩年は身延山に退くが、ここが日蓮宗の本山になるのである。
 以上、駆け足で仏教を垣間見てきたが、信仰の世界を示されたかったのである。どこの世界でも改革が行われ、新しい信仰の世界が導かれる。しかし、日本の仏教は高僧たちの信仰と宗派が残されたが、その信仰をもって生きる人は多くはない。宗派の寺に所属する檀家であり、葬儀ではお世話になるが、通常は宗派の教えを聞くこともない。葬式仏教にとどまっているのである。とはいえ、日本国憲法改正の動きに対して「九条の和」が組織されているが、多くのお坊さんが加わっている。また、教誨師の世界はお坊さんが主導となっている。このように、いろいろな場で信仰の証しをしているが、その教えは人々に浸透していないのである。