鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<181>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<181>
2013年9月6日「信仰の世界を垣間見る (二) 1 」


聖書の言葉
すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。
(テサロニケの信徒への手紙<一>5章21-22節)



 前回まで5回にわたってイスラム教の世界を垣間見た。ほんの少し覗いた程度である。今回からは仏教を垣間見ることにした。仏教は日本人の生活の中に入り込んでいるが、その世界を垣間見るとき、こんなに込み入った世界であることをはじめて知るのである。
 私の家は浄土真宗であり、親鸞の存在があった。私が中学生の頃であったと思うが、声に出して聖書を読んでいた。それはマタイによる福音書5章であったと思う。43節以下は「敵を愛しなさい」としてイエス・キリストが教えているのであるが、「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて下さるからである」と示している。側で針仕事をしていた母が、「親鸞お上人様と同じ教えだねえ」と言うのであった。そういう思いがあるので、二人の姉と私がキリスト教の教会に通い、洗礼を受けることにも反対をしなかったのである。今になって仏教を垣間見るのは、浄土真宗の信仰を持って生きた両親を示されるからでもある。
 さて、仏教の開祖は釈迦であることくらいは知っていた。正式にはゴータマ・ブッダで、今から2600年前、紀元前5、6世紀であり、インドのガンジス河流域、ヒマラヤ山脈の麓、ネパールとインドの国境付近にあった小国の王家に生まれたと言われる。この小国を釈迦国と言うので、「お釈迦様」という呼称となるのである。王子であるゴータマは幼名をシッダッタという。ゴータマ・ブッダと言うが、「ブッダ」とは「目覚めた人」と言う意味であり、尊称である。名前と苗字ではない。それはイエスが名前で、キリスト(救い主)の尊称で呼ぶのと同じなのである。「釈尊」という呼称もあるが、「釈迦牟尼世尊」と言い、釈迦族尊い聖者の略であるという。当時はバラモン教が栄えていたが、シャモン教と言われる人々が対抗するようになっていた頃である。宗教に道を求める人々が存在していたということである。ゴータマも当初はシャモン教に生きていたのである。
 王子として恵まれた環境で成長するのであるが、幼い頃から物思いにふけっていたと言われる。人間が老い、病み、死ぬ姿を見て、自分のこととして悩んだのである。父はそのようなシッダッタの姿を見て、もしかしたら出家するのではないかと恐れ、美しい妃と結婚させるのである。しかし、結婚して一子を与えられるのであるが、生への苦悩、真理の探究が募るばかりで、ついに王宮から抜け出したのであった。そして、髪を剃り、すべてを捨ててシャモン教の求道者となったのである。この時、29歳であったといわれる。当初は行者を師として瞑想を学ぶ。さらに苦行に打ち込む。しかし、どんなに苦行しても理想の境地を得ることができない。そこで今度は大木(菩提樹)の下で深く静かな瞑想に入ったのである。そして、ついに「さとり」を開き、「ブッダ」(目覚めた人)になったのであると言われている。それは35歳の時であった。以後、人々に説法をするが、悟りの内容を分かりやすくまとめた、中道、八正道、四聖諦であったという。
 その説法を示されておこう。当時のインドには、動物犠牲を通して神々や祖霊に働きかけ、現世利益を求めるバラモン教が多くの人々の信仰であった。それに対して激しい苦行によって道を求めるシャモン教があった。ゴータマはこのシャモン教で6年間にわたり修行するのであるが、安らぎは得られなかったのである。菩提樹の大木の下で瞑想にふけったとき、「中道」を見出したのである。ゴータマは出家者、修行者が実践すべきではない極端行を二つ挙げる。一つは、五欲で体を楽しませる(眼耳鼻舌身から入る情報にふける)快楽の道。もう一つは、自分を虐め苦しませる道、いわゆる苦行である。これらのどちらを歩んでも何も得られないとゴータマ・ブッダは示したのである。贅沢にふけらず、苦行に陥らず、そのような極端な道を歩むのではなく、「中道」を歩むことなのである。これは左右の中間ではなく、ほどほどや中庸というものではない。その「中道」の実践法として「八正道」を示したのである。
 「八正道」とは、1.正見…正しい見解を持つ。四聖諦を理解すること。四聖諦とは人間の生きる姿である。2.正思惟…正しい心構えをもつ。思考を完成に導くこと。3.正語…言葉の罪を戒めること。嘘や中傷を言わない。4.正業…からだで行う罪を戒める。殺生・盗み・邪な性行為をしない。5.正命…罪を犯して生計を立てるようなことはしない。仕事を完成に導くこと。6.正精進…努力を完成に導く。7.正念…気づきを完成に導く。身体の行動・感覚・心・真理に気づく。8.正定…瞑想の実践で心の集中力を育てること。
 この八正道を実践することにより「さとり・解脱」へと導かれると示したのである。ゴータマ・ブッダの教えを更に進めるとすれば、垣間見るどころか「勉強」になってしまうので、このくらいで先に進めたい。「仏教を垣間見る」のは日本の仏教であるからだ。



浄土真宗の寺の墓地に鈴木家の墓がある。



墓地の入口の柱は「鈴木政次郎、ハナ」の両親の名が刻まれている。
少しは多く寄進したようである。