鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<180>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<180>
2013年9月4日「信仰の世界を垣間見る 5」


聖書の言葉
「それらの日の後、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである」と、主は言われる。「すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、彼らの心にそれを書きつけよう。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。彼らはそれぞれ自分の同胞に、それぞれ自分の兄弟に、『主を知れ』と言って教える必要はなくなる。小さな者から大きな者に至るまで、彼らはすべて、わたしを知るようになり、わたしは彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。」
ヘブライ人への手紙8章10-12節)



 「信仰の世界を垣間見る」としてイスラム教の世界を覗いてきた。ここで記しているのは横浜市立大学のエクステンション講座「イスラームの歴史と教義」で学んだことが基となっている。六回の受講であり、一回は2時間であるから、それらを網羅してまとめるとしたら、かなりの分量になる。ここに記しているのは、まさに「垣間見る」だけである。もう一つの資料は、「イスラームのとらえ方」(山川出版社)である。たったこれだけの資料であるが、「垣間見る」にはありがたい教科書となっている。
 さて、今回はイスラーム法について垣間見る。イスラームの共同体をウンマと称しているが、共同体を形成するのがムスリムイスラム教徒)である。ムスリムは唯一なるアッラーを絶対者として信じ、ウンマの中にいるムスリムとして、その関係、すなわち人間関係が正しく築かれなければならないのである。その役目を果たすのがイスラーム法と言うものである。復習しておくと、クルアーンコーラン)はムハンマドマホメット)がアッラーから授かった啓示である。商人であったムハンマドは読み書きができなかったと言われる。従って、授かった啓示を口伝で人々に示したのである。ムハンマドが亡くなってから弟子たちが、正しく伝えるために書き残したのがクルアーンとなっている。それから「ハディース」というものがある。クルアーンとは別にムハンマドが人々に教えたものである。「ムハンマドの言行録」として成立するのである。このハディースにはクルアーンとして示された啓示の具体的な指針が示されている。いわゆる戒律である。そして、イスラーム法が成立する中で、ハディースがその中に含まれることになるのである。前記したが六信五行が中心になっていることは言うまでもない。
 聖書には神様が新しく始まるイスラエルの人々の指針として「十戒」を与えている、第一戒から第四戒までは神様を正しく信じる戒めである。そして第五戒から第十戒までは人間関係の戒めである。イスラーム共同体のウンマアッラーへの信仰と人間関係を確立することがムスリムイスラム教徒)の生き方であると示されている。それは十戒授与が基となっているのではないか、私見として示される。クルアーンを与え、アッラーへの信仰と人々の関係を導くことは、十戒を通して唯一なる神を信じ、人間関係を正すことが基となっていると思わされる。十戒を基としてレビ記申命記に示されるように律法が制定されていったのである。イスラームクルアーンハディースムハンマドの言行録)を基としてイスラーム法が制定されていったのである。イスラーム法(シャリーア)がクルアーンハディースを基としているので、この法は変更できないのである。そこで法学者が現れるようになる。一つの事柄に対して、法学者がイスラーム法を解釈しつつ指針を与えるということである。しかし法学者は法の解釈をめぐっていくつかの法学派が成立しており、解釈をめぐっての対立があるのである。
 法解釈で学派ができるが、イスラームにはムハンマド以後は分派ができる。誰がムハンマドの後のウンマ(共同体)の指導者になるか。それは他の誰でもないムハンマドの系統が後継者であるとする。しかし、血筋をめぐっての争いはどこの世界でもある。そのような事情の中で今でも残っているのがスンナ派シーア派の二大宗派である。これらの宗派の指導者をカリフ、イマームと称している。カリフはムハンマド代理人(後継者)であり、ウンマの最高指導者である。しかし、宗教的権限はなく、政治的権限だけであるという。それにたいしてイマームは「指導者」という意味であるが、ムスリム共同体の指導者、信仰実践も指導する指導者なのである。それぞれの宗派により、カリフと呼び、イマームと呼んでいるようである。
 イスラームは個人の信仰というより、ウンマという共同体全体の救いである、そのためアッラーを信じつつウンマの拡大を図って行った。かなりの範囲でヨーロッパ世界を征服していく。しかし、キリスト教も負けてはいない。十字軍による聖地奪還の歴史があり、スペインではレコンキスタ(再征服)により、イスラームを排除したのである。800年間にわたる戦いであったと言われる。しかし、近代になってイスラーム諸国は欧米の植民地体制に組み入れられるようになる。それにより、欧米の法を取り入れなければならなく、独立後も多くの国家が欧米流の法律を新たに制定したため、現在ではイスラーム法を実際に施行している国は少ないと言われる。これに対してイスラーム法、シャリーアの実施を求める人々が出てくる。一つは「イスラム原理主義」も原点に戻れと主張しているのである。「原理主義」とは、本来「ファンダメンタリズム根本主義)」の訳語であり、キリスト教原理主義を意味していた。1979年のイラン革命後、西洋における「原理主義」の本来の意味が変化し、世俗化した社会を宗教的な原点に立ち返って変革していく政治運動をさすようになっている。日本では「イスラム原理主義」とマスコミを中心に言われているが、間違いであるとも言われている。確かに、過激に活動するグループがあり、それらの人々を原理主義としているが、本来の「原理主義」は過激な活動ではないということである。
 7世紀に始まったイスラームの世界であり、その共同体の信仰はイスラーム法を基として21世紀になっても、人々の生活となっている。厳しい戒律に生きる人々と理解しているが、それなりに前向きに生きているのである。ヴェールを強制するようになったのは1979年のイラン革命後であるが、ヴェールをすることにより、男女差が無くなるという積極的なとらえ方が向学心を助長させているのである。イランは2013年6月16日に行われた大統領選挙でロウハーニー氏を選んだ。欧米との対話を求める新大統領により、イランは更に進化して行くであろう。



イランの新大統領・ロウハーニー氏。



新大統領を喜ぶ人々。