鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<179>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<179>
2013年9月2日「信仰の世界を垣間見る 4」


聖書の言葉
神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」。
(創世記1章27-28節)



 横浜市立大学のエクステンション講座「イスラームの歴史と教義」(イラン映画に見る女性と社会)を受講した時、副題にもあるように、二本のイラン映画を鑑賞しながら、現代のイラン社会を示されたのであった。一つは「オフサイド・ガールズ」である。イランではサッカーは国民的なスポーツである。男性も女性も熱狂的にサッカーを観戦する。しかし、女性が男性のスポーツをスタジアムで観戦することは禁止されている。2006年に代表チームがワールドカップ出場をかけた大事な一戦が、首都テヘランで行われる。10万人もの観衆がスタジアムに向かうのであるが、その中に少女達の男装の姿があった。しかし、入場受付門で見破られ保護されてしまうのである。スタジアムの壁一つ隔てたサークルの中に保護されている少女たちは、スタジアムから聞こえてくる大歓声に、警備する兵士に「女性はなぜスタジアムに入れないのか」と抗議する。兵士たちは明確に答えることもできず、観衆が汚い言葉を発するとか、環境が良くないからだと説明するしかない。試合が終了する前に男装した少女たちが車で警察に護送される。車の中でイランの勝利をラジオで聞くのである。少女達も車の中で大喜びする。それと共に町中が勝利に酔いしれているのである。そのため護送車は勝利に酔う群衆で進めなくなる。そのうち群衆が護送車の運転手、護送する兵士たちも道路に引っ張りだし、一緒にお祝いするのである。車のドアーは開けられたままである。逃走するというより、少女たちも歓喜の群衆の中に消えて行くのである。「どうして女はスタジアムに入れないの?!」、と問い続けながらドラマが進められているのであった。イラン社会のルールに逆らって進入禁止の領域に突き進んだ「オフサイド」な少女たちのおかしくて心温まる奮闘が示されている映画であった。この映画は数々の賞を得ることになる。
 もう一つの映画は「彼女が消えた浜辺」である。この映画もいくつかの賞を受けている。テヘランからカスピ海の避暑地にやってきた男女のグループである。数組の夫婦と一人の男性、一人の女性エリーが加わっている。エリーは幼稚園の先生であり、その先生の世話になっている子供の母親が、このヴァカンスに誘ったのである。この母親は一人の男性をエリーに紹介したかったのである。ヴァカンスの二日目、海辺で遊んでいた子供達の一人が溺れてしまう。大人たちは懸命に救助し、命は取り留めたのである。ところがこの時、一同はエリーが居ないことに気づく。子供を助けるためにエリーが溺れたのか。しかし、エリーがいなくなった時、誰もエリーのことについては彼女の名前だけで何も知らなかった。知っているのは子供の母親だけである。エリーの居なくなっていたことで、いろいろと議論しているとき、エリーの婚約者が現れる。これは大変なことなのである。婚約者がいるのに、ヴァカンスに出掛けたとなると、誘ったグループの責任になる。子供の母親はエリーが婚約者と別れたいと聞いている。しかし、それは黙っていたのである。いよいよ婚約者が来ることになった時、子供の母親はエリーの本当のことをみんなに話す。一同は婚約者には、何も知らなかったことにすることにしたのである。婚約者が現れた時、特に子供の母親に、エリーは自分のことを話していなかったかと問い詰める。ここは嘘を言う他はない。何も聞いていないということで、婚約者は帰って行くのである。
 イスラーム法では原則として、婚姻契約を結んだ夫婦以外の性的関係を認めておらず、それをおかした場合は姦通罪として処刑されるのである。映画の場合、エリーについて知っていたならば姦通罪になる。だから子供の母親は「エリーからは何も聞いていない」と嘘を言う以外にはない。一同を救うためである。イスラーム法には男女の空間分離という社会規範や女性のヴェール着用慣行があり、女性が親族以外の男性と接触する機会をできるだけ少なくし、彼女が誤りを犯す可能性を減らし、彼女および一族の性的名誉を守るという観点から正当化されている。コーランには以下のように記されている。
 クルアーンコーラン)第4章34節「神はもともと男と(女と)の間に優劣をおつけになったのだし、また(生活に必要な)金は男が出すのだから、この点で男の方が上に立つべき」としている。第24章30-31節では、男女とも貞潔を守ることが命じられている。そのためには、男女とも肌の露出を慎むことが必要であるとされ、特に女性の服装が問題になる。さらに第24章31節には、「信者の女性たちに言ってやるがいい。彼女らの視線を低くし、貞淑を守れ。外に表れるもののほかは、彼女らの美しいところを目立たせてはならない。それからヴェールをその胸の上に垂れなさい」と規定している。これらの規定は現代社会でも適用されているのである。
 現代社会でもイスラーム法が重視されるのはイラン革命があったからである。イラン革命がイラン・パフラヴィー朝において1979年2月に起こる。亡命中であったルーホッラー・ホメイニーを精神的指導者とするイスラム十二イマーム派シーア派)の法学者たちを支柱とする国民の革命勢力が、モハンマド・レザー・シャーの専制に反対して、政権を奪取した事件を中心とする政治的・社会的変動をさす。民主主義革命であると同時に、イスラム化を求める反動的回帰でもあった。イスラム革命とも呼ばれる。女性のヴェール着用を強制するようになったのはイラン革命以後である。しかし、これにより不思議なことが起こるのである。ヴェールを着用していれば、男女の空間分離ができていると考えられるようになったので、女性もヴェールさえかぶっていれば大学にも進学できるようになったし、社会進出が向上するのである。イスラーム法については次回に示されることにしよう。



イラン映画オフサイド・ガールズ」



イラン映画彼女が消えた浜辺