鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<163>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<163>
2013年7月24日「いろいろと予定を与えられ」


聖書の言葉
兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なるささげものとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
(ローマの信徒への手紙12章1節)



 7月23日に清水ヶ丘教会の山口昇さんと内藤雅俊さんが、我が家にお出でくださることについては二週間前に電話で打ち合わせていた。この朝は、昨日連れ合いのスミさんが庭の草取りを行い、それが玄関前に置かれていたので、火曜日のこの日は燃えるごみの収集日であり、袋に詰め込んで収集所までもっていく。たったそれだけのことで汗にまみれる。もっとも蚊に刺されるので作業用の長袖、長ズボンを着ているので、毎日猛暑日が続く朝から暑く、汗にまみれるのは当然である。それで、終わってからシャワーを浴び、その後はパソコンに向かい、メールやブログ等を確認している。すると階下から、私の書斎は二階にあるので、「あら、まだ居るの」との連れ合いのスミさんの声が聞こえてくる。9時30分をうっかり忘れてしまっていた。清水ヶ丘教会の山口、内藤両氏が京急線六浦駅に9時30分に待ち合わせをしてから来られるということであったので、それならその時間にお迎えに行くと伝えてあったのである。急いで車で六浦駅に向かったのであった。結局、9時40分頃になってしまったが、既に六浦駅でお待ちになっていた両氏をお連れしたのであった。六浦駅から我が家まで歩いて15分くらいである。この暑い中を歩いていただくのは申し訳ない。内藤雅俊さんは大分前のことであるが、我が家にお出でくださっている。姉の美喜子の葬儀の時である。昔の六浦駅のたたずまいを知っておられるので、かなり昔にも来られているのであろう。
 ところで、両氏がお訪ねくださったのは、清水ヶ丘教会壮年会が10月13日、14日に修養会を開催するので、講師になってもらいたいとの電話を山口さんからいただいていた。それについてはお会いしてお話したいということで、7月23日に設定されたのである。壮年会の会員は60名以上はおられるという。山口さんはその壮年会の会長をされているのである。お電話をいただいたとき、お話をしてもらいたいとのことであったが、具体的には主題も、方向も示されなかった。その後、ご連絡をいだき、修養会の主題は「主に従う者の生活」と言うようなものとし、信徒として「祈っているか、聖書を読んでいるか、証しをしているか」等について学びを深めたいということであった。清水ヶ丘教会壮年会は2013年度の研究テーマとして「信仰の達人に学ぶ」を掲げ、毎月の例会で会員が研究テーマの発表を行い学習されていると言われる。新島襄内村鑑三、植村正久、田中重治、津田梅子、新渡戸稲造、長尾巻、山室軍平等の人々を信仰の達人として学んでいる。キリスト教の信仰の先達を学んでいる中で、示された主題をどのように展開するか、それはいずれ報告することにしよう。
 清水ヶ丘教会が私の出身教会であることについては、以前のブログに記している。「導きの源流を探りつつ」として2012年8月13日から10回にわたり記している。そのテーマで書くことにしたのは、その年の9月2日に同教会の創立65周年記念礼拝の一つとして説教を依頼されたのであった。その年、清水ヶ丘教会は「清水ヶ丘教会源流を知る」プロジェクトを発足させ、今までの教会の歴史や先達の思いを知り、これからの教会のあり方を考えたいということであったので、清水ヶ丘教会に育てられた者として、私自身の源流を探ったのであった。
 その日、説教が終わり、説教者を囲む会が開かれたが、婦人会が開いてくださったのである。壮年会が60名以上いるのであれば、婦人会には100名以上の皆さんがおられるのである。その人数だけでもひとつの教会であるだけに、多くの皆さんが会員となっている清水ヶ丘教会には神さまのご栄光を見る思いである。しかし、現役退任後、むしろ少人数の主の群れで礼拝をささげる喜びを得ている。会員が多いとか少ないとかではなく、集められた者が、そこで力強く主に礼拝をささげることの恵みを示されているのである。



2012年9月2日、清水ヶ丘教会の礼拝説教のあと、
「説教者を囲む会」が婦人会の主催で開かれる。



婦人会だけでも100名以上はおられる。