鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

常夏の国にて<74>

マレーシア・クアラルンプール滞在記(2013年3月13日〜6月4日)<74>
2013年6月2日「最後の礼拝」



 帰国まで秒読みになっている、と昨日記した。6月4日、火曜日に帰国するので、水曜日になると、最後の水曜日であると思いつつ過ごす。最後の土曜日と思いつつ、この一週間を過ごしているのである。それでこの日は日曜日、最後の日曜日そして礼拝である。
 礼拝に向かうにあたり、いつものように池上美香さんがお迎えに来てくださった。行く途上、車の中では、最近、美香さんは猫を飼うようになったので、その話題で仕切りである。先日の聖書の会に牧師館に来られた時、美香さんのカメラのカードをお借りし、その猫の写真を私のパソコンに入れておいた。そしてA4サイズの用紙に14枚のスナップ写真を焼き付け、美香さんに差し上げたのであった。送迎してくださったささやかなお礼である。美香さんはとても喜んでくださり、礼拝後は皆さんにお見せするのであった。
最後の礼拝の説教は「祝福をいただく人生」と題して御言葉を取り次ぐ。聖書は申命記24章10-22節、ルカによる福音書16章19-31節である。私がキリスト教に導かれる経緯は6月の第二日曜日、「子どもの日・花の日」にあるということについては、5月12日のオープンチャーチにおいてお話している。この日もそのことに少しふれながら、私たちが他の存在にどれだけ心を向けるか、とは聖書のお導きであると示されるのである。従って、旧約聖書申命記24章は「人道上の規定」を示しており、かつては聖書の人々も奴隷であり、苦しい経験をしているのであるから、神さまの恵みに生きている今、あなたがたは寄留者、孤児、寡婦を心に留めなさいと教えているのである。その旧約聖書のメッセージはイエス様によって深く教えられている。ルカによる福音書16章19節から31節は「金持ちとラザロ」と題してイエス様が意味深いたとえ話をしている。内容については割愛するが、この説教はブログ「御言葉に向かう」の6月2日付で「祝福をいただく人生」として公開している。この日は第一日曜日であり聖餐式を執行する。最後の礼拝で、皆さんと共に主の御聖餐をいただくことができ感謝している。
終わってからいつものようにお茶の会が開かれる。しかし、いつものお茶の会ではなく、私達夫婦の送別会を兼ねた集いであった。前週も渡辺裕子さんの送別会が開かれ、毎週送別会が開かれるのは気が引ける。司会は佐藤恭仁彦さんであり、送別のお言葉をいただくのは新井実さんからである。新井実さんとの出会いについては、5月13日付のブログ「こんな出会いも与えられ」として報告している。新井さんも30年前の私達との出会いをお話しながら、送別のお言葉を述べてくださったのである。そして、新井実さんはギターを弾かれ、讃美歌を歌ってくださる。それに対して私達もご挨拶をさせていただく。実は5月11日の役員会で、今までの牧師先生達は送別会で楽器を演奏されたり、讃美歌を歌ったりされたと言われた。それなら、お恥ずかしいことであるが、私のハーモニカ演奏でスミさんが讃美歌を歌うことにしたのである。そのつもりでいたのであるが、前日の土曜日に音合わせをこころみる。スペイン・バルセロナでは羊子のピアノにあわせてハーモニカの演奏をしたり、讃美歌を歌ったので、間違いについては気にもならなかった。ところがハーモニカだけで合わせると、スミさんが言うには、随分と音程や音符通りになっていないと言うのである。あれこれと指摘するので、もともと専門にハーモニカを吹いているのでもなく、家にいる時はスミさんがいない時に吹いているくらいなので、あれこれ指摘されるのが嫌になり、ハーモニカ演奏は中止を宣言したのであった。お茶の会では、そのあたりの弁解をしながら、皆さんにお世話になったお礼を述べたのであった。鈴木牧師は楽器を演奏することも無く、歌いもしなかった、との歴史を残す。



送別会で新井実さんが送別の辞。
そして、ギターを弾きつつ讃美歌を歌う。



皆さんがカードに寄せ書きをしてくださり、
挨拶しつつ礼を述べる。



ご出席くださった皆さん。




礼拝後、いつものように有志による夕食会をする。食事処は5月24日に、初めて夕食会に臨んだ場所であった。その時は羊子も一緒であった。その辺りをウォーターパークと称しているが、店に入った時はまだ明るかった。しかし、次第に夕闇が増し加わって来た時、水辺に写る夕焼けを心に刻みながら食事をいただいたのである。




有志による最後の夕食会。
美香さんが持っているのがスミさんの作ったぬいぐるみ、
そして私が作成した猫ちゃんのスナップ集。



美しい夕焼けを心に刻みながら。