鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

常夏の国にて<72>

マレーシア・クアラルンプール滞在記(2013年3月13日〜6月4日)<72>
2013年5月28日「旅の空を訪ねつつ」



 マレーシア・クアラルンプールの日本語キリスト者集会のボランティア牧師として、3月13日から6月4日までの三ヶ月間赴くことになった時、何を読もうかと思案していた。2011年4月5月にスペイン・バルセロナに行った時には、井上靖著「孔子」を持参した。一ヶ月半の滞在では、すぐに読み終えた。羊子の家にあった塩野七生著「チョーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」、「ルネッサンスの女達」も読んでいる。さらに2012年9月10月に、再びバルセロナ行った時には、五木寛之著「親鸞」上下巻を読む。バルセロナ訪問は羊子の演奏活動について歩くか観光することの他は、時間が十分あり、読書に費やすことができるのである。それで、今回は三ヶ月もあるので、立松和平著「道元禅師」上中下巻を持参する。この本は4月の末には読破しており、4月29日の滞在記<48>「道を求める人々」と題して記している。そして、5月になってから、もう一冊持参している栗田勇著「一遍上人(旅の思索者)」<新潮文庫>を読みはじめた。「道元禅師」は上中下巻もあり、少し急いで読んだ感がある。しかし、「一遍上人」は、もはやこれ一冊しかないので、ゆっくり味わいながら読むことにしたのである。というより、ゆっくり読まざるを得ないのである。「親鸞」にしても「道元禅師」にしても、構成は小説なのである。だから興味深く、先へ先へと読みたがる。ところが「一遍上人」は、小説ではなく評論である。伝記を記すがごとく、著者の思いを入れながら、また一遍上人の思いと同化しながら進めていく作風は、なかなか先へ先へと読み進むことができないのである。むしろ苦戦しつつ読み終えたと思う。5月27日のことであるから、約一ヶ月を費やしている。




立松和平著「道元禅師」上・中・下巻



栗田勇著「一遍上人」(旅の思索者)



 一遍上人時宗なる宗派の祖となる人である。時宗は「念仏踊り」としての信仰を深めるのである。「一遍上人の名は、鎌倉初期をかざるほぼ同時代に輩出した、法然親鸞道元日蓮と比べると、ほとんど知られることが少ない。ましてや、鎌倉中期から室町へかけて、浄土宗や真宗をはるかに凌ぐ、大教団としてとくに『念仏踊り』が、上は大名、武士から町人、百姓浮浪者に至るまで、ほとんど、日本の全土を風靡していたことは全く忘れ去られている」と著者は述べている(あとがき)。「そのころ日本の街の辻や村の集まりでは、盆・暮はもちろん、毎月、おつとめの日に南無阿弥陀仏を大声で合唱しながら、円陣をつくって、踊り狂っていたのである」とも記している。察すると一遍上人が導いた念仏踊りが「盆踊り」として今日に至っているのであろう。念仏踊りは一つの時代を現すのであるが、時代を残した人々は、山間遊行の人々であるという。彼らは、いわば巡礼の人であり、遊行の人々であり、漂泊の人であるという。一口に言えば、西行から芭蕉にまでいたる旅の思索者達であったという。彼らこそ日本の文化の創造者であり、その本質は巡礼すなわち旅の心にほかならなかった、と著者は述べている。その一人が一遍上人ということになる。
 「一遍その人が、じつは、その名のごとく『偏在』しているのだ。一遍上人は自らを問い、日本の国土を歩き、捨てることさえ捨てて、『南無阿弥陀仏』の名号に帰依し、名号そのものとなり、日本人の心の深奥にひろがる世界そのものになっていた。その心の風景は、私たちが日頃よく見知っている、山や水、吹く風、立つ波であり、と同時に私たちが死を思うとき、懐かしく変容する風景であった」(文庫版あとがき)。
 私は世界の国々というほど訪れている訳ではない。イスラエル、エジプト、韓国、スペインのマドリッドバルセロナ、フランスのパリ、イタリアのローマ等、そしてマレーシアくらいである。旅の空の下で思うことは、そこで営まれている人間の文化、歴史を残している育みを示されるのである。そして、言語が異なるが、触れ合う人々の温かさというものである。言葉の違う人々が、何とかして通じ合いたいとの思いがある。そこに住む人々と築かれている文化を、感動を持って触れ合うとき、旅の空の喜びを感じるのである。ここマレーシアの人々は、多民族国家であり、様々な国の背景を持つ人々である。いろいろな出会いがあるということだ。