鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

常夏の国にて<71>

マレーシア・クアラルンプール滞在記(2013年3月13日〜6月4日)<71>
2013年5月27日「終わりの日を示されながら」



 昨日の礼拝は5月26日として5月の最終礼拝である。そして、次の6月2日の礼拝は私達のボランティア牧師としての最終説教となる。早いもので三ヶ月の期間の責任を果たすことになる。しかし、厳密に言えば、6月9日の聖日礼拝までが責任期間であった。5月10日が私の誕生日であり、今年は免許の更新になっており、6月10日までに更新しなければならないので、6月2日の聖日礼拝までとしたのである。しかし、人伝に聞くと、免許は帰国してから一ヶ月以内に更新すれば良いとか。それにしても、やはり、6月2日を最後にしたのは、6月9日の横須賀上町教会礼拝を担当する責任を感じていたからである。毎月、第二日曜日の礼拝、聖餐式を担当している。3月は10日に責任を果たし、13日に出発したが、4月と5月はお休みさせていただくことになる。横須賀上町教会は聖餐式を二回お休みにしたということである。だから、6月は責任を果たしたいので6月9日に間に合うように帰国するのである。やりくりすればどうにでもなる問題であるが、やはり定められていることを守りたいのである。
 そんなことを示されながら26日の聖日礼拝に臨んだ。19日がペンテコステ礼拝であったので、この日は三位一体主日の礼拝である。聖書はイザヤ書6章1節から8節、エフェソの信徒への手紙1章3節から14節、マタイによる福音書11章25節から30節であり、「御国の保証」と題しての説教であった。説教そのものについては、ブログ「鈴木伸治御言葉に向かう」で公開しているので、ここでは割愛しておく。礼拝が終わり、お茶の会となる。この会では渡辺裕子さんの送別会を行うことになった。実は、前週19日の礼拝後、お茶の会で渡辺さんの送別会を行う予定であった。そのためにケーキを用意したのである。ところが渡辺さんは礼拝には出席されなかった。ケーキはお茶の会の出席者が美味しくいただいたのであった。渡辺裕子さんには送別会のことがちゃんと伝わっていなかったようである。この日のお茶の会が送別会になったのであるが、申し訳ないことであるがケーキはないということである。送別会ではコーはんな先生が送別の言葉を述べられた。KLJCFの草創期に遡り、渡辺さんのお母さんがKLJCFで洗礼を受けられたのである。渡辺裕子さんは結婚されてマレーシアに来ることになり、この一年間、KLJCFの礼拝に出席しながら過ごされたのである。お母さんとの関わりで、ずっと昔から関わりのある方であった。



5月26日の礼拝で、献金感謝祈祷をささげる池上美香さん。
池上さんには礼拝、婦人会等には車で送迎していただいた。



祝福の新井さんご家族との再会は神さまの大きなお導きを示される。



渡辺裕子さんの送別会をお茶の会で行う。
1985年12月に母上様の杉山光江さんが
KLJCFの最初の受洗者である。
ここにも神さまの大きなお導きを示される。



 お茶の会が終わり、皆さんが帰えられる時、コーはんな先生がご挨拶に来られた。はんな先生は今週の31日の金曜日に日本に一時帰国される。新潟のお生れで、連れ合いのスミさんも新潟十日町市出身なので、親しくお交わりをさせていただく。今日がお別れということになるので、ご挨拶くださったのであった。お別れといえば、不思議な出会いが与えられている新井実さんご家族のお別れは、日本への素晴らしいお土産になっている。不思議な出会いについては5月13日付で「こんな出会いも与えられ」と題して記している。1979年に大塚平安教会に就任したが、その頃、「新井さん」という婦人が幼稚園児くらいのお子さんを連れて家庭集会に出席していたのである。そのお子さんが今、KLJCFで力強い歩みをされている新井実さんなのである。30年ぶりの不思議な再会であった。このことは帰国したら座間市立野台の、「新井さん」をご存じの方にお証として紹介したいと思う。そのため、この日の礼拝後にご家族の皆さんと私達夫婦が記念の写真を写したのであった。しかし、当時の「新井さん」をご存じの方は少なくなっている。越さん、井馬さん、井上さん、今は天におられるからである。
 その他の再会もある。4月21日に日本に一時帰国した塚元由美子さんが戻られた。さっそくお茶の会で接待されていた。また4月26日に一時帰国していた岩田俊昭さん、律子さんご夫婦も5月18日には戻られている。5ヶ月前に注文し、代金も納入している車が、25日の土曜日に、ようやく納入されたということでお喜びであった。今まではタクシーで教会に来られていた。26日の午前中も、新しい車で教会まで試運転されたとか。