鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

常夏の国にて<67>

マレーシア・クアラルンプール滞在記(2013年3月13日〜6月4日)<67>
2013年5月20日「私のことばで聞こうとは」



 5月17日まで毎日ブログを書いてきたが、同じことを繰り返し書くことになるので、そろそろこの辺で執筆を終了したい。もはや婦人会も休会になっているし、毎週開催されているバイブルカフェにしても、新しく書き加えることはない。今週の金曜日に「聖書の会」があり、「主の祈り」についての本を読んできたが、丁度、その日で読破となる。その辺りはまとめの意味で記しておくだろう。残る二週間となっている。残りの日々は、三ヶ月の総括をしておくこと、次期ボランティア牧師への引き継ぎを記しておくこと、帰国の準備ということになる。
 5月17日まで記したが、翌日の18日は連れ合いのスミさんが、午前と午後と一日に二回もプールに行っている。もはや自分でエレベーターに乗ることができるようになっているので、私がついて行かなくても自由に行かれるのである。何回もプールに行くのは、一つは庭の手入れをしている女性と話をしたいからなのである。女性はインドネシアの人らしいが、お互いに言葉が通じないのに、お互いにあっては、にこにこ笑いながら話をしているのである。話は通じあっているのであろう。19日は午前中に買い物に出る。一つは薬屋さんに寄って薬を買うためである。牧師館には、それもどうやらソファーのようである。長く座っていたりすると、何かの虫に刺されるようだ。はっきり言えばダニらしい。それで薬屋さんで刺された後を示しながら、相応の薬を出してもらったのである。ストレート英語と手話で何とか通じたようである。



スミさんがプールに行くのは、
庭の手入れをする女性とお話したいのである。




 19日はペンテコステ礼拝である。第三日曜日はKLJCFの顧問であるフィリップ・コー牧師が説教を担当することになっている。それで、この日はお務めが無いので、シンガポールのJCFに行こうと思った。数人の人に交通機関等を調べてもらったのである。その結果、バスで行くのが最も良いて言うことであった。知らせてくれた人は、「但し」と言われ、「聞けばシンガポールに行かれる方は高齢の方と聞く。そうであるとバスは冷房が効きすぎ、若者の携帯電話や歓談で騒がしく、かなりスピートを出すので、きつい旅になる」と助言してくれていた。それで断念してしまったのである。クアラルンプールもシンガポールも街並は変わりなく、あまり見学するという意識も無かったからである。それで19日はKLJCFの礼拝に一人の会衆として出席する。スミさんは初めてであり、最後であるが、献金当番として感謝祈祷をささげる。
 礼拝後はお茶の会があり歓談する。そしてその後、例によって有志による夕食会が行われた。今回は牧師館に近いタイ・レストランに行く。有志6名で行ったのである。タイのレストランであり、働いている人もタイの人たちである。注文に来た女の子はマレー語も分からず、ストレート英語は分かるようであるが、メニューを示しながら注文を取っていた。この辺の商店街は、インド系、中国系、マレー系等の人々が店を開いているのであるが、共通後は英語である。しかし、必ずしも英語は通じないこともある。それでも何とか通じてしまう世界がここにあるのである。今日のペンテコステ礼拝をささげ、示された聖書により、人と人とがいれば通じることを示されたのである。聖霊を受けたお弟子さん達が、イエス様の救いの証をしたとき、そこには諸外国から人々が集まっていたのであるが、お弟子さん達のお話を聞いた人々は、「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」と言い、驚き、戸惑ったと聖書は記している。クアラルンプールは英語ができれば生活できると言われているが、必ずしも英語が共通語ではない。英語がわからない人が多いのである。その場合、どのような言葉でも、誠意である。こちらの気持ちを伝えたいと、全身でその人の前に立つことである。
19日の礼拝に出席するため牧師館を出る。二軒目の隣の婦人とは、会う度に笑顔で対していた。その婦人が泣いているのである。スミさんの姿を見ると玄関に出てきた。言葉が通じないので、スミさんはその婦人の肩を撫でてあげたが、迎えに来てくれる人を待たせることになるので、その人を後にしたのである。この日は聖霊降臨、ペンテコステであった。何も言わなくても、通じる世界を聖霊が導いてくださるのである。



ペンテコステ礼拝で説教をするフィリップ・コー先生。
英語でお話されたので、通訳はウォルターブッシュ幸子さん。



鈴木スミさんの献金感謝祈祷。
長くもなく、短くもなく…。