鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

常夏の国にて<62>

マレーシア・クアラルンプール滞在記(2013年3月13日〜6月4日)<62>
2013年5月13日「こんな出会いも与えられ」



 今日は月曜日、KLJCFとしての集会はないが、しなければならないことがあった。それは、このコンドミニアムの出入りのカード交換である。着任した時、二枚の出入りカードを渡されていた。ゲートの出入りをする時、カードをタッチすることで門が開くのである。それが普通の出入りであるが、ほとんどタッチしなくても出入り出来ていた。それはゲートの担当者が施錠を解除しているので、タッチする必要が無い。しかし、今までに一度だけタッチしなければ開かないことがあった。ゲートの担当者によっては施錠したままで、各自のカードタッチを求める人もいるのである。この今までのカードを新しいカードと交換するのである。そのような掲示があったようであるが、気がつかなかった。11日に役員会が牧師館で開催され、諸江修さんが教えてくれたのである。昨日の国際理工情報デザイン専門学校の学生の皆さんを招いてのオープン・チャーチについては昨日のブログに記している。諸江さんはその専門学校のマレーシア校の校長先生なのである。学生の皆さんは二週間の留学期間であるが、その皆さんは牧師館があるコンドミニアムに宿泊しているのである。国際理工の専門学校はこのコンドミニアムにいくつかの部屋を確保しているのである。だから、諸江さんは出入りのカードが新しくなったことをご存じなのである。コンドミニアムの事務所は月曜日しか開いてないので、今日の月曜日に新しいゲートカードを交換したのであった。
 私がカードを交換している間、連れ合いのスミさんはプールに向かっていた。例によって、私はプールサイドで本を読む。マレー人の若者達が数人泳いでおり、スミさんに浮き輪を渡しながら「オハヨウ ゴザイマス」と日本語で言っている。約1時間、浮き輪につかまりながらプールを行き来し、プールから上がる。帰りがけに庭の管理をする女性と話している。その女性はマレー人であり、英語も分からない。お互いに通じないのであるが、話しているのである。そして、手招きしてスミさんを別の庭に連れて行く。そしてそこの花をとってスミさんに渡すのである。スミさんがお礼を言っているのであるが、英語でも通じない。しかし、感謝の気持ちを現していることは理解したようである。そしてエレベーターに乗ると、お掃除の女性たちが、スミさんがもっている花が「カナンボコ」であると言っていた。連れ合いのスミさんは誰とでも話をするので、これも新しい出会いなのである。



スミさんのプールでのリハビリを眺めながら、
プールサイドで読書をする。



庭の手入れをする女性と友達になり、お花をいただく。
言葉は通じないのであるが、気持ちは通じて。



 ところで、出会いと言えば、昨日のKLJCFのオープン・チャーチで驚くべき出会いが与えられる。新井さん家族が礼拝に出席していることは、すでに承知している。新井実さんは礼拝の司会をしたり、賛美のリーダーになったりしている。お連れ合いの幸代さんはバイブルカフェの中心メンバーである。二人のお子さん、勇人君、望亜君共元気に成長されておられる。いつも家族で礼拝に出席されている。オープン・チャーチでは私の成長とキリスト教との出会いを話し、更に前任の大塚平安教会やドレーパー記念幼稚園のことなどを話したのであった。礼拝が終わり、愛餐会になったとき、新井実さんが私に話しかけて来られる。「私の兄達は何人か、ドレーパー記念幼稚園を卒業している」と言われるのである。私は1979年に赴任しているので、どうやらすれ違いのようだ。さらにいろいろと聞いてみると、「新井さん」が思い出されて来るのである。新井さんは大塚平安教会員ではないが、家庭集会に出席されていた。幼稚園児くらいのお子さんを連れて出席されていたのでる。「この子が幼稚園に行かないというものですから」と言われていた。そして、新井実さんも昔を思い出しながら、自分で幼稚園に行かないと言われたことをお話される。昔、お母さんが言われていたことと、新井実さんが言われていることは一致するのである。新井さんと出会うのは大塚平安教会に就任した初期の頃であり、その後、召天されて葬儀にも列席している。そのお母さんに連れられて家庭集会に出席していた幼児が新井実さんなのである。祝福のご家庭が与えられ、マレーシアで生活されているのである。こんな不思議な出会いが与えられるとは、神様に心から感謝したのであった。



祝福の新井さんご家族と恵みの出会いが与えられる。