鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

常夏の国にて<53>

マレーシア・クアラルンプール滞在記(2013年3月13日〜)<53>
2013年5月4日「KLJCF を見守る存在」



 牧会者の集いが今日の5月4日に開かれた。KLJCFの顧問であるフィリップ・コー牧師とはんな夫人、そしてボランティア牧師である私達の集いである。前回は4月6日に開催している。いつも牧師館で開催することになっている。今日は12時30分からの開会である。お昼の時間でもあり、まず食事ということになる。コー先生夫妻はインドの料理をもってきてくださる。カレー風に料理した物をナンでまとめてあるのである。連れ合いのスミさんは日本的な五目ご飯を作る。後は野菜サラダであった。また昨日買い物に行き、美味しいパンを求めてきたので、デザート代わりに出す。それぞれの食べ物をいだきながら、いろいろなお話をするのであった。お話をしながら祈りの課題をまとめて行く。そして、四人はそれぞれの課題をお祈りするのである。午後2時30分には終わっている。KLJCFの牧会者たちが、月に一度であるが教会の歩みを祈り、所属する皆さんを覚えて祈ること、牧会が深まる時である。
 フィリップ・コー牧師夫妻にはKLJCFが始まった頃から導きを与えられている。1983年9月18日に第一回「日本人クリスチャンの集い」が開催された。出席者はクリスチャン夫婦9名、子ども3名。地元教会の牧師であるフィリップ・許(コー)先生が使徒行伝19章1〜7節から「使徒の働き」のメッセージを取り次ぐ。日本人のはんな夫人が通訳する。これらの歴史は記念誌を参照することで示されるのであるが、昨年、2012年4月から最初のボランティア牧師になられた相浦和生先生が、記念誌の歴史をまとめ、略史として見やすくしてくれている。フィリップ・コー牧師とはんな夫人には30年の歴史を導いてくださっているのである。今年の秋に30周年記念礼拝及び感謝の時をもつそうであるが、記念礼拝の説教者としてフィリップ・コー先生が決められている。それは当然の選任であると思う。教会の週報には、多くの場合、牧師の名前が記されるものであるが、KLJCFの場合は顧問としてフィリップ・コー牧師とはんな夫人の名が記されている。今は専任牧師ではなく、ボランティア牧師が順次就任しているからだある。




3月19日、ラジ洋子さんのお宅で開かれた婦人会に、
コー・はんな先生も出席され、共に学び合う。



3月31日、イースター礼拝の後のお茶の会で。



5月19日のペンテコステ礼拝の後で記念写真。



 四冊の記念誌を見ながら、フィリップ・コー牧師のお導きも大きいのであるが、はんな夫人のお働きが大きいと受け止めている。最初に発行された「2周年記念誌」からはんな夫人のお働きを紹介しておこう。
 「1982年10月下旬にマレーシアに帰って来て、まずもう一人の日本人の熱心なクリスチャンを、神様が与えてくださるように祈りました。一人では何もできませんが、二人だと小さくても交わりをし、祈祷会をすることができます。そしてそこから輪を少しずつ広げることができます。数ヶ月後の日曜日、ある教会に行ったら、日本から来たばかりだというクリスチャン家族に会うことができました。その方は阿部さんでした。そしてその阿部さんから、「味の素」の松本さんのお宅で日本人集会を始める計画があることを聞き、本当にうれしくなりました。そして日本へ一時帰国なさっていた松本さんの奥さんのお帰りを待って、第一回目の婦人会が1983年9月の第一週に開かれました。その会でJCFは婦人会だけでなく、礼拝も同時にはじめたらということが話し合われ、幸いみんな主人がクリスチャンでしたので、主人達に呼びかけ、第三日曜日に第一回の礼拝がもたれた訳です。このようにして、婦人会は毎週水曜日午前中週一回、礼拝は毎月一度第三日曜日ということで、両方とも足並みをそろえて、1983年9月に始めることができました。主の大いなる恵みと、他の国々のJCFの方々の祈りや、個人的なクリスチャンの祈りに支えられて始まったことを深く覚え感謝です。」
 はんな夫人の証しはまだ続くが、割愛させていただき、ひとまず締めくくる。その後のKLJCFの歩みは、常にはんな夫人が関わっておられる歴史を見るのである。牧会者の集いを推進しておられるのもはんな夫人であると思っている。何事も祈りをもって関わり、祈りつつ進めておられる牧師夫人の大きな働きを示されている。