鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

常夏の国にて<52>

マレーシア・クアラルンプール滞在記(2013年3月13日〜)<52>
2013年5月3日「日本を知るいくつか」



 マレーシアに居ながら日本のことを知るいくつかのルートがある。昨日はバイブルカフェでMont Kiaraに行き、そこにある日本料理屋「小林」でサバの塩焼きを食べた。久しぶりに日本の味をいただく。少し前に、やはり日本料理屋「松葉」で和食をいただいている。それらの日本食専門店は多くの場合、日本人が経営しているのであろう。店内には閲覧用の日本の漫画本や雑誌が多数置かれている。また日本の新聞も置かれているのである。マレーシアに来て間もなく、役員会が開かれ、終わってから日本人会の中にある日本食専門店でいただいた。そこにも日本の図書が多数置いてあった。クアラルンプールには日本人が1万人もいると言われており、日本人向けの料理店が多数あっても経営が成り立っているのである。
 マレーシアにいながら日本の情報を得るのは、NHKのBSテレビである。こちらで編集しているので、日本のBS番組がそのまま放映されるのではない。同じ番組を何回も放映している。しかし、ニュース番組は毎日その日の報道を見る事が出来るのである。テレビと共に日本の情報を得るのはインターネットである。パソコンを持参しているので、日本の様子は逐一知ることが出来るのである。報道と言えば、こちらには「南国新聞」が発行されている。この新聞は日本人向けのマレーシア新聞である。マレーシアにおける諸問題を報道しているので、マレーシアを理解するには参考になる新聞である。この「南国新聞」にNHKのBS番組表が掲載されているので、一週間先まで番組を知ることが出来る。この新聞は日本人向けなので、日本の料理店やその他いろいろな広告がある。日本通運の広告があり、帰国の引越しについての広告を出している。会社から派遣されて来て、任務が終わり帰国する事になったとき、やはり引越し屋さんが必要である。私たちのように三ヶ月くらいでは、身の周りのもので済むが、2年3年ともなれば、かなりの荷物になるのであろう。「週刊ジェイスポ」、「パノーラ」という情報誌も発行されている。いずれにしても日本語で書かれた新聞、情報紙が読めるので、マレーシアにいて、何もわからないというのではない。



日本語でマレーシア国内を報道する「南国新聞」。




 何よりもクワアルンプール日本人会という組織があることだ。1963年にできた組織である。会員制度で個人会員は家族を含めて4000名、賛助会員は1000名、法人会員は320社であると言う。会員になると、クラブハウス店舗が利用でき、図書室も利用できる。同好会や教室への参加、グランドピアノの使用が出来ると言う。主要行事は、1月新年会、3月と9月に日本人墓地・彼岸法要、4月日本語弁論大会高校生の部、6月日本人会年次総会、10月チャリティバザー等がある。日本人学校はこの会が設立しているので、子供を日本人学校に入学させるには会員になる。この日本人会に「南国新聞」、他の情報誌が置いてあり、無料でいだけるのである。だから会員である教会の皆さんがここで新聞等をもらってきてくれるのである。
 この日本人会の年間の歩みの中に、3月と9月にお墓参りがあり、彼岸の法要があることに思いを馳せる。日本人会は1963年にできているが、その頃から日本人がマレーシアに渡り、永住する人も次第に増えてきているのであろう。このマレーシアに埋葬されているのである。教会に連なる方の中には、もはや日本には帰らず、マレーシアに永住するつもりの方がおられる。墓地のことまで視野にいれておられるのであろう。そう言えば過日マラッカに行った時、高速道路の途中にあった墓地を見学した。大きな墓地にはイスラム教以外の諸宗教の墓地が並んでいた。仏教、キリスト教ヒンドゥー教等、それぞれの区画に整然と墓石が建てられている。それぞれ形も違い、刻まれている文字も異なるのであるが、共通している一つの事があった。どの墓石に刻まれている文字は、一様に金文字であり、光輝いていたのである。
 マレーシアにいながら、日本的なものに触れるし、全く日本は遥かかなたとは思わない。しかし、スペイン・バルセロナで過ごした時は、日本は遥かかなたであると思っていた。時差も8時間もあったのだから。マレーシアは日本に対して一時間遅れにすぎないのである。