鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

常夏の国にて<51>

マレーシア・クアラルンプール滞在記(2013年3月13日〜6月4日)<51>
2013年5月2日「バイブルカフェ三回目」



 若婦人会でもあるバイブルカフェがMont Kiaraの新井幸代さんのお宅で開催される。例によってFooさんタクシーを昨日のうちに予約しておいた。朝の時間は車が渋滞するので、朝の9時には牧師館のあるコンドミニアムに来てもらうのである。Mont Kiaraまで車で30分くらいであるが、渋滞すると40分もかかってしまうのである。今日は三人の出席者と私達夫婦で5人の出席となる。この会では「使徒の働き」という聖書を読む会の手引書を用いて学んでいる。今日は使徒言行録に記されているステパノの証しについての学びであった。使徒言行録6章1-7節は原始教会の歩みが記されている。原始教会においてギリシャ語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して苦情が出る。原始教会は持てるものをみんなで出し合い、共同の生活をしていたのである。しかし、人数が増えてくるといろいろと生活の諸問題が起きてくる。それらの諸問題を、お弟子さん達に持っていくことは妨げになるのである。そこでお弟子さん達は、霊と知恵に満ちた評判の良い人、7人を選び、諸問題の仕事に当たらせ、お弟子さん達は御言葉に専念したのである。その7人の中にステパノがいる。使徒言行録6章8-15節はステパノの大胆な証しが記されている。雑用を司るために選ばれたステパノであるが、主の宣教を展開するのである。そして、使徒言行録7章1-53節はステパノの説教が記されている。ステパノは主イエス・キリストを証しするために、聖書の民族アブラハムから始め、イサク、ヤコブ、そしてヨセフの働き、モーセの働き、出エジプトの救い、幕屋の意義等を示しながら神様の救いの歴史、すなわち主イエス・キリストに至る救いを述べるのである。今日はそこまでの学びであるが、ステパノの証しだけでは救いの歴史は分からない部分が多い。そこでアブラハムから始まる救いの歴史を牧師としての私がお話をする。それによって皆さんは、聖書を読んだだけでは分からないことが、良く理解できたと言われるのであった。
 学びを終え、懇談の中で、毎週の集会は大変ではないかと問う。すると皆さんは、お連れ合いを職場に、またお子さんを学校に送り出すと、家事以外はすることがなく、働くことはできないのであると言われる。そのようなビザを持っていないからである。その意味でも、聖書を学ぶ時間はとても良いひとときであると言われるのであった。終わってから敷地内に日本料理店「小林」に行く。前回来たときはBARABARAというチラシ寿司を食べたが、そのとき他の人が食べたサバの塩焼きが美味しそうであった。次回に来たときには、ぜひいただきたいと思っていた。念願が今日かなえられたのである。本当はそれに冷ややっこがつくのであるが、品切れで、じゃがいもサラダになる。それも美味しかった。帰るまでに、もう一度新井さんのお宅で集会が開かれるので、この店に来ることが出来る。今度は何を食べようか。



日本料理店「小林」で、皆さんと楽しく食事をする。



楽しみにしていた「サバの塩焼き定食」をいただく。



 午後1時30分にはタクシーが迎えに来てくれた。そして2時頃には牧師館に帰ったのである。今日は天気も良く、スミさんのプールに付き合ってあげることにした。私はプールサイドで本を読んでいたのであるが。立松和平著「道元禅師」上中下巻を読んでしまったので、今度は栗田勇著「一遍上人」(旅の思索者)を読みはじめている。仏教のお坊さんの生き様を示されるとき、信仰者の示しを与えられるのである。信仰の姿は仏教であろうとキリスト教であろうと本質は変わらない。そんな思いを込めて仏教のお坊さんたちを見つめているのである。
 プールから上がり、牧師館に戻って過ごしているとスペインの羊子から電話が入り、スカイプで話すことにして立ちあげる。今回はこちらの映像を送ることが出来る。随分と長い時間、連れ合いのスミさんが話していた。昨年の9月10月に行ったばかりであるが、その後冷蔵庫を変えたとか、棚を作ったとかで模様替えがあり、それらもスカイプで見ることが出来る。冷蔵庫は大きなものにしたので、中を空けて見せてくれたが、むしろガラガラと思えるほど、中はあまり入っていない。そんなことまで見ることが出来るので、スカイプは便利である。お互いの生活を祈りつつ終えたのであった。