鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

常夏の国にて<30>

マレーシア・クアラルンプール滞在記(2013年3月13日〜6月4日)<30>
2013年4月11日「教会員事情」



 教会に出席し、その教会に所属していればその教会の教会員と言う。それは日本基督教団の場合であり、他の教派においても同じことが言えるであろう。しかし、ここマレーシアにおけるクアラルンプール日本語キリスト者集会の場合は状況が異なる。礼拝には30名前後の皆さんが出席し、賛美も高らかにささげている。御言葉に耳を傾けている。礼拝献金をささげ、更に月定維持献金をささげてKLJCFを支えている。まさに教会員である。しかし、厳密に言うと、KLJCFの教会員籍と言うものはない。皆さんはそれぞれ日本の教会に籍を持っているのである。クアラルンプールにおいて、信仰を持つ者が、共に合い集って礼拝をささげる、そのことが基本線なのである。だから教派がことなり、カトリックプロテスタントであったとしても、心を一つにして主を賛美できる恵みを喜ぶのである。日本語キリスト者集会、JCFという集まりがいろいろな国々にあるが、故郷を後にした人々が、外国にあって共に主を賛美する集まりなのである。だからそれは教会籍を持つというのではなく、信仰の交わりであり、一時的であったとしても、クリスチャンの家族なのである。
 ここマレーシアにおいてのJCFは、今年で30年を迎えている。この30年間に多くの皆さんがKLJCFの交わりの家族に加わり、主を礼拝しつつマレーシアで過ごしてきたのである。その30年間の歴史を顧みる時、少しずつ変化が見られるようになっている。当初は、皆さんはまさに旅人であった。多くの場合、勤務地がマレーシアであり、会社から派遣されて滞在されている人々であった。滞在中、ふと出会った人がクリスチャンであり、共に賛美することへと導かれるのである。コー・ハンナ先生から今迄発行された記念誌をお借りした。「二周年記念誌」、「七周年記念誌」、「十周年記念誌」、「二十周年記念誌」である。それらには歴史と共に、KLJCFに出席した人々の喜びの証が記されている。しかし、これらの記念誌に証を記している多くの皆さんは、今は日本に帰国してしまっているのである。ひとときであったとしてもKLJCFで皆さんと共に礼拝をささげ、交わりが導かれたことを喜んでおられるのである。



KLJCF記念誌。左から20周年、10周年、7周年、2周年記念誌。



 最初の二周年記念誌に小史が記されているので、引用しておく。
「KLJCFが1983年9月18日にスタートしてから、早いものですでに2年を数えるに至りました。神様がこの小さな群れの歩みを守り、導き続けてくださったことを信じて、心から感謝をささげたいと思います。海外の赴任地での交わり常として、この2年の間に、スタート時のメンバーの殆どの方達が帰国され、第1回目からのメンバーはフィリップ・コウ師夫妻と私達夫婦だけとなりました。このような訳で、私達がKLJCFの小史をまとめることになりました。
 3年前にKLに赴任した後、私達の教会(浦和福音自由教会)からシンガポールに遣わされていた横内澄江宣教師から松本兄姉の御名前と『「日本クリスチャンの集いを始めようとされている』と言うことを教えられ、早速コンタクトをとり、その後暫くして、松本兄姉宅で第一回のKLJCFの集いが開かれたのでした。礼拝の後の話し合いで、名称を『日本人クリスチャンの集い』と決め、毎月第3日曜日午後6時30分〜8時30分を礼拝の日時とし、夕食の交わりを持ってから、礼拝を始めることとしました。松本兄姉のリーダー・シップとお世話でKLJCFの交わりが軌道にのって一年、急に松本兄姉が日本に帰ることが決まりました。松本兄姉宅での最後のJCFの礼拝終えて、帰りがけた兄姉達が玄関のポーチに佇んで、一緒に南十字星を探したことが昨日のように思い出されます」(小史=阿部義通)。



PJゴスペルホールの教会から借りているミッションハウス。
毎週日曜日午後4時から礼拝をささげている。



教会の入口にかけてある案内版。



 このように歴史においては一時的なマレーシア滞在の人々であった。しかし、今は大きな変化になっていることは、半永住の皆さんが多くなっているのである。そういう人々を「退職者の皆さん」と称している。退職後、第二の人生をクアラルンプールで過ごし、KLJCFで皆さんと共に主を賛美しつつ過ごされているのである。それに対し「駐在員」の皆さんは入れ替わっているが、「退職者」の皆さん、結婚された皆さんが集会を支えているのである。