鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

常夏の国にて<29>

マレーシア・クアラルンプール滞在記(2013年3月13日〜6月4日)<29>
2013年4月10日「出会い事情」



 KLJCFの皆さんとの出会い、お交わりを感謝している。その意味で礼拝や諸集会に出席するのが楽しみである。礼拝に出席する度に新しい出会いが与えられるからである。これまでも、説教の中で、私が歩んできた道をお話してきた。青山教会から始まって、陸前古川教会、大塚平安教会等をお話し、現在も横須賀上町教会や三崎教会に関わっていることをお話する。すると自分は宮城県古川市に住んでいたとか、三浦半島の三浦海岸付近におられたとか、皆さんは懐かしい思いで聞かれたと言われるのである。そんなことで、結構お話が導かれるのであった。今週7日の礼拝においても新しい出会いが与えられている。
 31日の礼拝で初めて紹介されたのであるが、親しみを込めてご挨拶をしてくださった姉妹がおられる。名簿を示しながら、どなたですかと聞く。自分はこれですと示した名簿には高橋加織さんと記されている。クアラルンプール市内から来られているのだと言われる。その日はイースターのお祝いのお茶の会があったが、高橋さんとはそれ以上のお話はなかった。そして、その後はそれぞれの予定である。羊子はYJCFに招かれての食事であったし、私達夫婦は他の三組の夫婦と夕食をともにしたのであった。そして7日の礼拝が終わり、お茶の会で懇談しているうちに、高橋加織さんが北海道倶知安教会に出席されていたことを知るのである。と言うのは、この日の説教で北海道余市教会の思い出をお話したからである。神学生として夏期伝道という名目で実習に行く。一ヶ月間、中学生や高校生たちとすごし、ある日のこと、高校生から質問を受けたのである。イエス様は十字架で殺されたのに、なぜ信仰しているのかと言うことである。人々のために犠牲になって殺された人は日本にもいるのである。しかし、信仰はしていない、という素朴な質問であった。それに対して、イエス様は十字架で終わりでなく、復活されて、新しい命を人々に与えてくれたんだよ、と示したのである。質問した高校生は、今までは沈んだ顔であったが、急に明るくなり、そうでしたね、復活したんでしたね、と言うのであった。復活のイエス様を受け止めて生きる者へと導かれたのである。7日の説教は「イエス様の証人」と題し、復活のイエス様の証を示されたのである。そのため北海度余市教会における体験をお話したのである。



4月7日、礼拝後のお茶の会。
この集いで高橋加織さんとの出会いが与えられる。


 礼拝が終わり、お茶の会で高橋加織さんが倶知安教会に出席されていたと言うので、昔、その教会には籠場公郎牧師が牧会されていたことをお話すると、その籠場先生の時代だと言われる。余市教会と倶知安教会は比較的近くにあるのである。現在も牧会を続けているのか不明であるが、籠場公郎牧師が接点となり、高橋加織さんとはお話が弾んだのであった。籠場公郎牧師は私が日本聖書神学校に入った時は、既に神学生であった。最初は彼の方が先輩であったが、卒業は私の方が早かったのである。楽しい人物で、いろいろと交わりを深めつつ神学校生活をしたものである。教団書記として教区総会時期には教団四役が手分けして各教区を問按する。書記8年間を担う中で二度ほど北海教区を問按している。その都度、籠場公郎牧師と会い、親しくお話をしたのであった。まさかマレーシアで昔の親しい友人のことが思い出されるとは、不思議なお導きである。そのことで高橋加織さんと親しいお交わりが導かれたのであるから。出身はバプテストの教会であり、私が住んでいる六浦にある関東学院には行かれたことがあると言われる。
 スペイン・バルセロナで出会った下山由紀子さんも、金澤キリスト教会に出席されており、思わぬところで、近い存在の方と出会ったことを喜んだのであるが、このマレーシアにおいても近い存在の方との出会いが与えられたのである。本当に不思議なお導きであると思う。その意味でも、自分が関わった世界は、神様が新しい出会いを与えてくださる準備の時であったと思いたい。そうであれば、これまでの人生はなんと祝福に満ちているのではないだろうか。何一つ忘れてはならない出会いのことどもであるのである。