鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

常夏の国にて<24>

マレーシア・クアラルンプール滞在記(2013年3月13日〜6月4日)<24>
2013年4月5日「歴史事情」



 今週は4月2日に婦人会が開催され、ラジ洋子さんのお宅にタクシーで赴いたことについては記している。今週は明日の4月6日に牧会者会議をすることになっている。3月17日に私の第一回礼拝説教が行われ、その後に歓迎会を開いてくださる。その歓迎会にコー先生ご夫妻もご出席くださっていた。コー先生はKLJCFの創立時から関わっておられる方で、今は顧問の立場である。月に一度は説教をされる。その歓迎会の時、夫人のはんな先生から牧会者会議をしましょうとのお話があったのである。先日の婦人会にもはんな先生が出席されておられ、改めて確認されたのであった。明日の6日午前11時45分から牧師館で開催することになっている。今週はその他には予定がなく、だからこちらの事情等を記している。昨日は交通事情を記したが、今日はKLJCFの歴史事情を記しておく。
 KLJCFの歴史については、昨年最初にボランティア牧師になられた相浦和生先生が記念誌をまとめて略史を残してくださった。ほとんどそのまま参考に記しておきたい。
1983年9月7日、最初の婦人会がクリスチャンホームの松本繁雄さんの家で開催される。KLJCFの発端となる。この集いを「日本人クリスチャンの集い」と命名し、「毎週水曜日の午前中に婦人会を開催する。毎月第三日曜日午後6時30分より礼拝をささげる。場所は松本夫妻宅」と決められる。この決定により1983年9月18日に第一回「日本人クリスチャンの集い」が開催された。出席者はクリスチャン夫婦9名、子ども3名。地元教会の牧師であるフィリップ・許(コー)先生が使徒行伝19章1〜7節から「使徒の働き」のメッセージを取り次ぐ。日本人のはんな夫人が通訳する。その年のクリスマス集会は、セント・アンドリュース教会を会場に開催される。説教者として、シンガポールJCFから岩井満先生を迎える。2年後の1985年から集会の開始時間が午後4時になる。また、月に一回、第二日曜日に尾崎一政さん夫妻の家で日曜学校が始められる。この年の8月から、最終日曜日だけであるがPJゴスペルホールを借用しての礼拝が始まる。その年の12月にはKLJCF最初の洗礼者、杉山光江さんが与えられる。「日本人クリスチャンの集い」は、その後「クワラルンプール日本語キリスト者集会(KLJCF)」と名称を変更し、現在に至っている。礼拝会場はメンバーの家庭を持ち回りしており、時間も場所も毎週異なる状況であった。礼拝への祈りが応えられ、ゴスペルホールでの礼拝は二回になり、更に三回になっていく。1992年の後半からは毎週午後4時からゴスペルホールでの礼拝が可能になる。この礼拝が現在に至るまで続けられているのである。シンガポールJCFの顧問の牧師達が毎月1回、KLJCFの礼拝を担当するようになり、日本語で説教を聞くようになる。1994年3月に、コー先生が留学で一家と共に渡米される。そのため地元の牧師が月に一回ずつ英語でメッセージを取り次ぐ。会員が交替で通訳をする。2005年から加藤尚宏牧師がKLJCFの専任牧師となるが2012年3月に退任。加藤牧師の退任に伴い、KLJCFは日本基督教団にボランティア牧師の推薦を依頼する。2012年4月からのボランティア牧師は、相浦和生先生(隠退教師)が2012年3月下旬から7月下旬まで、松谷好明先生(教務教師、聖学院)が2012年7月下旬から9月下旬まで、藤本治祥先生(隠退教師、米国在住)が2012年9月下旬から12月上旬まで、山崎往夫先生(隠退教師)が2012年12月中旬から2013年3月上旬までであった。そしてその後、五番目として鈴木伸治牧師が2013年3月13日から6月4日まで赴くことになる。



クアラルンプール日本語キリスト者集会の礼拝がささげられるミッションハウス。



KLJCFは今年で30周年を迎えている。
今まで発行された記念誌。
左から20周年、10周年、7周年、2周年記念誌。




このような歴史事情であるが、KLJCFに所属する皆さんはマレーシアにおける信仰の原点の場として、大切にされている。毎週のように新来会者があるが、一時的な所属である。それらの人々を駐在員の皆さんと称し、半永久的に教会を支えておられるのは退職者の皆さんなのである。第二の人生をマレーシアで過ごしているのである。そして結婚によりこの地に住んでいる皆さんがKLJCFを支えているのである。