鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

常夏の国にて<21>

マレーシア・クアラルンプール滞在記(2013年3月13日〜)<21>
2013年4月2日「祈りの集い」



 羊子はフライトも無事に、予定通り午後7時30分にバルセロナ空港に着く。その知らせをメールで読み、安心したわけである。今日は婦人会の祈祷会である。婦人会は毎週火曜日に開かれる。内容は祈祷会、学習会、作業会等を順次繰り返しつつ行っている。今日は祈祷会なので、牧師の奨励が行われることになっている。いつもは牧師をどなたかが送迎してくださるのであるが、皆さんのご都合が悪く、今回はタクシーで行くことにした。そのため、昨日、羊子を空港まで送ってくれるタクシー運転手のFOOさんに予約しておいたのである。婦人会は午前10時30分の開会であるが、FOOさんは車が混雑するからと9時30分に迎えに来てくれた。別の意味でその時間に来てくれたのは正解であった。
 婦人会の会場はラジ洋子さんのお宅であった。FOOさんは住所を頼りに、その付近まで行ったのであるが、表示してある番号が順序通りではなく、どうしてもわからない。あちらこちらまわるが分からない。結局、ラジ洋子さんに電話して聞くことにする。すると近くのガソリンスタンドで待つようにと言うことであった。そのスタンドは日本でもおなじみのシェル石油のスタンドあった。間もなく洋子さんが車で迎えに来たので、その後について行き、ようやく目的地に到着したのであった。約束はRM20であったが、あちらこちら探して余計に走ったので、上乗せして払おうとしたら、いらないと言って断られる。FOOさんは良心的な運転手であると思った。今後も何かとお願することになると思う。
 31日にイースター礼拝をささげたばかりである。その意味でも、奨励は復活に関する聖書を示される。ヨハネによる福音書21章1節以下は、復活されたイエス様がお弟子さん達に三度目に現れたことが記されている。イエス様が復活されてから八日目のことである。お弟子さん達は何をするあてもなく過ごしていたが、ペトロが漁に行くと言うので、他の6人のお弟子さんも一緒に行くのである。漁をするのは夜のことである。昼間は暑いので、魚が水面に上がってこないからである。漁をするも何も獲れず、もはや夜が明けている。その時、浜辺にいる人が、舟の右の方に網を降ろしなさいと言っている。そのようにすると沢山の魚が取れたのであった。それにより、お弟子さん達は浜辺の人がイエス様であることを察知するのである。陸に上がると、イエス様は炭火をおこして魚を焼いており、パンも用意している。「さあ、来て、朝の食事をしなさい」とお弟子さん達に言うのであった。
 「最後の晩餐」はイエス様がお弟子さんたちと最後の食事をされる。その時、パンとぶどう酒を示し、ご自分の体として今後食するよう示されたのである。それが今日、聖餐式として私たちの信仰を導いている。それに対して、イエス様は「最初の朝餐」を与えているのである。復活されたイエス様が、お弟子さんたちと最初の朝の食事をしているのである。「最後の晩餐」が信仰を養うものであれば、「最初の朝餐」はイエス様が私たちの生活を導いてくださる示しなのである。私の現実におられて、私を導いてくださるのである。以上の奨励の後に祈祷会となる。祈祷会は、最初に祈りの課題を皆さんが報告する。4月14日に予定されている教会総会を覚えてお祈りすること、そして教会の皆さんの消息を報告し、祈題としたのである。10名の出席者を三グループに分け、少人数で祈りあったのであった。グループにおいても消息が述べられ、皆さんでお祈りするのであった。
 婦人会が毎週火曜日に開かれていること、熱心な皆さんを示される。毎回、10名前後の方が出席される。日本の教会でも毎週となると集まりが少ないのであるが、こちらの皆さんの集いに対する責任を示されるのであった。しかも、かなり広範囲から集まってこられるのである。だいたい牧師館から、今回の会場のラジ洋子さんのお宅まで、車で30分もかかるのである。帰りはウォルターブッシュ姉妹が車で送ってくださった。皆さんがかわるがわる牧師夫妻を送迎してくださること、心から感謝している。