鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

常夏の国にて<16>

マレーシア・クアラルンプール滞在記(2013年3月13日〜6月4日)<16>
2013年3月28日「歴史の街を訪ねる」



 国立博物館を見学することで、西村信子さんや増田憲治さんと愛子さん御夫妻にガイドしていただき、知識と研鑚が深められた。増田さんには送迎をしてくださり、心から感謝している。その車の中で、せっかくマレーシアにいるのであるから、どこを観光するかと言うことも話題になる。クアラルンプールのメインであるKLタワーやツインタワーを見学すること、またイスラム美術館を見学することなどが話し合われたが、マラッカ辺りであれば一日で行かれることを知る。それもタクシーを利用しても、それほど高額ではないことも示されるのであった。それで、家に帰ってから、マラッカ行きを検討し、羊子が池上美香さんに相談してみる。すると、知り合いのタクシーを紹介してくださる。日本語が分かる人だと言うのである。早速、そのタクシーの運転手に連絡を取ると、28日なら可能と言うことで、決行することにしたのである。昨日の今日であるが、羊子は間もなくスペインにもどるので、マラッカ行きとなったのである。羊子もヨーロッパ、アメリカ等各国を訪れているが、マレーシアは初めてであり、せっかく来たのであるから観光をお土産としたいのであるし、私たちとしても二人だけではその気にならないのである。
 タクシーの運転手はジェームズさんと言われる。中国系のマレーシア人である。お連れ合いは日本人である。朝9時頃にコンドミニアムの入口に迎えに来てくれた。7人乗りのワゴン車であり、ゆったりと座ることができた。マラッカまで約2時間を要するそうだ。高速道路を走るのであるが、途中、墓地に寄ってくれた。高速道路の道沿いにあるのである。イスラム教以外の宗教による墓地である。仏教、ヒンズー教キリスト教等の立派な墓地が建ち並ぶ。共通していることは墓誌に刻まれている字が金文字であり、どの墓誌も輝いていることである。墓地を後にしてマラッカに向かったのであるが、ジェームズさんはマラッカの田舎を見せてくれた。山道と思われる道を通りながら、素朴なマラッカの昔ながらの家やヤシ、ココナツ、バナナ等の植物等の説明をされるのであった。これが本当のマレーシアですよと。
 マラッカには鉄道の駅がなく、すべては車である。どの道も車が渋滞している。並行して輪タクと言われる自転車の乗り物が騒々しい音楽を発しながら走り回っている。自転車の横に二人座れる椅子が置かれ、ひとまわりするのである。狭い土産物屋さん通りまで入ってくる。マラッカの市街地に着いたとき12時30分にもなっていたので、まず食事をとることにした。ジェームズさんの推奨のマレーシア料理店に入る。味がよいのでお客さんが絶えないようである。食事後はつまようじを探していると、隣りの席の人が、ここにありますよと日本語で示してくれた。日本人観光客も結構いるようである。食事後は寺を見学したり、世界遺産だと言われる街全体が見えるような場所に行ったり、古いマラッカの豪華な、今はホテルになっている家を見学したりした。フロントホールにピアノが置いてあったので、羊子がショパンを弾く。



寺院の二階からマラッカ市街地を望む。



ザビエルの銅像の前で。



オランダ広場にあるムラカ・キリスト教会。



 その後、フランシスコ・ザビエルとヤジロウの像が置かれているセント・フランシス・ザビエル教会を見学する。ザビエルはここから日本に向かうのである。その後はオランダ広場に行く。オランダが統治していた時代があり、1753年に建造されたキリスト教会がシンボルになっている。CHRIST CHURCH MELAKA 1753との文字が赤レンガの建物にくっきりと掲げられている。小高い丘の上にはセント・ポール教会がある。1521年、ポルトガルによって建てられた教会と礼拝堂がある。フランシスコ・ザビエルの遺体が一時安置され、伝説の右手首のないザビエル像が建てられている。
 マラッカは海峡により東西貿易の要衝として栄えた港湾都市であったが、今は港は閉鎖されている。昔の小さい船は活躍できたが、今の大きな舟は入港できないのである。むしろ今は、多彩な歴史遺産があり、マレーシア有数の観光都市となっているのである。イスラム教、仏教、キリスト教ヒンズー教の混合の文化が生まれているのである。