鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

常夏の国にて<11>

マレーシア・クアラルンプール滞在記(2013年3月13日〜6月4日)<11>
2013年3月23日「屋台村を覗く」



 牧師館があるコンドミニアムから歩いて10分ほどの距離に屋台村がある。食べ物どころである。何日か前に諸江さんに教えていただいている。ここで食べると、はるかに安く、いろいろなものがあると言うことであった。しかし、連れ合いのスミさんとここまで歩いてくるには、結構大変そうである。羊子が来ているので、二人で探検がてら足を伸ばしたのである。歩道があるが極めて歩きにくい。 ゴミがうずたかくなっているし、つい車道を歩いてしまう。車には十分注意して歩く。屋台村はテントを張り巡らして続いている。歩道はテーブルと椅子が並べられ、歩くことは困難である。料理が並べられてあって、自分で食べたいものを摂るのである。焼き魚、焼き肉、その他いろいろな惣菜がある。パンもあるがご飯で食べるようである。なんとなくごみごみしていて、おそらく連れ合いのスミさんは食べられないであろう。屋台村を見学してからスリ・コタに行き、足りない食材を求めて帰る。(後で知ったたことであるが、ここが屋台村ではなく、屋台村は手前にある。)



当初は、この辺が屋台村と思っていたが、そうではない。



 ところで、初めて押しボタン式の信号に出会う。屋台村の手前は車道の交差点になっており、歩行者用の押しボタンが設置されていた。とにかく車には気をつけなければならないので、押しボタンを押す。しかし、いくら待っていても歩行者が渡れる青信号にはならなかった。何回も強く押しボタンを押したのであるが。やむなく、車が接近してないことを見届けて横断したのであった。帰りは反対側の道を歩いてきたが、どうせ押しても青信号にならないだろうと思いつつ、それでも押してみる。すると青信号にはならなかったが、すべての信号が赤になっている。それで渡るんだ、と思いつつ、それでも注意しつつ横断したのであった。
 昨日、羊子を迎えに航空に行き、その時、諸江さんがマレーシアの官公庁街に連れて行って下さった。斬新なデザインの建物が多く、道路もきれいに整備されている。そのような印象が残っているのであるが、街並の道路事情はまったく異なるのである。車道はそれなりに舗装されているが、歩道の悪さ、あるのかないのか、とにかく注意して歩くのである。
 午後4時頃、羊子が下のプールで泳いでくると言う。私はプールがあることは聞いていたが、泳ぐつもりはなかったので水着は持って来なかった。だから私はプールには行かなかったのであるが、後で思い直して、私もプールに行く。羊子が泳いでいるところを写真に収めるためである。プールには幾人かの子供達やひと組の親子連れの家族が水遊びを楽しんでいた。プールはかなり大きく、15mはあるだろう。プールの清掃もいつも行われているようだ。写真を写したので、私は牧師館に戻り、パソコンに向かったりしていると、間もなく羊子が戻って来た。スコールが来たと言うのである。いつもはガラガラドカーンの雷が聞こえてきて、それからスコールとなるのであるが、先にスコールが来たようである。羊子が牧師館に入ると間もなく雷の音が激しく騒ぎ出す。いつもより音も大きく、永く続いていた。スコールもかなり強く降り注いでいたようである。スコールが過ぎ去るとぐっと涼しくなる。



羊子はさっそくプールを楽しむ。



夜の商店街。揚げ物屋の露天商。



揚げ物屋さんに置かれている食材。



 スペインの食事は、夕食は10時頃である。しかし、ここクアラルンプールは日本と変わらない。朝は8時頃、昼は12頃、夜は8時頃である。7時になったので、そろそろ夕食の準備である。しかし、羊子に言わせると、まだ食事は早いというわけである。それで羊子と共に夕闇の街を散歩することにした。丁度、食事時なので、どこの食事処もお客さんが多い。街並には提灯が付けられ、賑わいを盛り上げているようだ。マッサージ店がかなりあるようで、足裏マッサージ店もある。羊子は興味があって、一つの店でいろいろと聞いていた。屋台も出ていて、おでん屋さんかと思った。そうではなく揚げ物屋さんである。下ごしらえしてあり、注文によりその場で揚げてくれるのである。面白い店もあるものだ。
 午後8時になると辺りは暗くなっている。牧師館に戻り、夕食をいただく。明日はいよいよチャペルコンサートである。祝福の集いとなるよう祈りつつ、今日も一日の生活が終わる。