鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

常夏の国にて<5>

マレーシア・クアラルンプール滞在記(2013年3月13日〜6月4日)<5>
2013年3月17日「第一回礼拝と歓迎会」



 いよいよクワアルンプール日本語キリスト者集会(以下、KLJCFと言う)の礼拝である。礼拝と言えば、日本においては日曜日の午前に開かれる。多くの場合、午前10時30分開会である。大塚平安教会の場合は午前10時15分であった。我が六浦谷間の集会は午前10時30分開会である。礼拝は日曜日の午前にささげるという習慣があるが、スペインにおけるバルセロナ日本語で聖書を読む会の礼拝は土曜日に行われ、それも午後5時頃から行われていた。あまり日曜日でなければならないとか、何時開会はこだわらなくなっている。KLJCFの礼拝は午後4時からであるが、PJゴスペル・ホール教会の別館であるミッションハウスでささげられる。午後3時に諸江修さんが迎えに来てくださった。牧師館の9階から玄関に出ると、二人の青年がいた。彼らは国際理工専門学校を卒業してマレーシアに来ているのであるが、同じコンドミニアムに学校の宿舎があるのである。彼らも諸江さんの車に乗せられてKLJCFに行く。
 礼拝は午後4時からであるが、その前に賛美のひとときがある。礼拝前賛美としているが、リビングプレイズから選ばれており、この日は165「つみおもにをのぞくには」、167「歌え、イエスの勝利を」、169「おおみ神をほめまつれ」の三曲が歌われた。リビングプレイズなる賛美歌集は初めてのことである。一人の男性会員が指導して歌われていた。午後4時から礼拝が始まる。室内はかなり冷房が効いており、むしろ寒いくらいである。こちらでは冷房で寒くすることが「ご馳走」であるという。礼拝に臨むにあたり、どんな服装にするか思案していた。結局、夏用のスーツで臨むことにした。半袖でも良いですよと言われているが、自分自身気が進まない。夏用のガウンを持参しているが、暑いであろうからと着用しないことにした。しかし、実際、礼拝の場に臨んだ時、この温度ではガウンを着用しても暑くないと思う。次回からはガウンを着用しようと思う。




礼拝がささげられるミッションハウス。



第一回目の礼拝説教を担当する。



会衆の皆さん。


 第一回の礼拝であり、緊張している面もあるので、いつものようにはいかなかった。声が上ずってしまい、ひとたび原稿からそれると、原稿に戻すのが大変であった。それでも何とか務めを果たしたのであった。礼拝後は集会室でお茶をいただきながら紹介され、皆さんと歓談する。実は午後6時30分から中華料理店で歓迎会が開催されることになっている。礼拝は午後5時頃終わり、歓迎会の会場に行くには早すぎるので、お茶をいただきながら歓談したのである。そして6時頃になって車に分乗し、会場に赴く。歓迎会等は、本来は教会で行われるのであるが、KLJCFは建て物を使わせていただいているという事情がある。従って、それなりの用具を礼拝の場に供えることができないのである。そのため、会場を食事処に移して行うのである。
 中華料理店はかなり立派な店構えであった。そこに22、3名が集まったのである。実は我々の歓迎会と共に、久野さんと言うご家族の送別会も兼ねて行われたのである。KLJCFに所属し、共に礼拝をささげ、信仰のお交わりを続けながらも、日本に帰国される皆さんもいるのである。半永住的に住んでいる人もいるが、暫定的に来られている人が多い。送別の言葉が贈られていたが、再びマレーシアに来られることを期待されていた。私達も挨拶させられたが、ある程度の紹介、青山教会から始まり、宮城県の陸前古川教会、大塚平安教会に至る経緯等をお話したのである。するとその後の歓談で、宮城の古川市出身であるとか、横浜市金沢区の並木には親戚がいるとか、三浦海岸におられたとか、お話がはずむ材料となっている。この歓迎会と送別会にはフィリップ・コー牧師・はんな夫人が出席された。コー牧師夫妻はKLJCFの創立の頃から関わっておられ、現在は第三日曜日の礼拝を担当されている。コー牧師は中国系マレーシア人で、まだ60代である。穏健な牧者であられるようである。ご夫妻は私たちの隣の席に座られたので、何かとお話を伺うことができた。いずれ牧会者会をしましょうと言われる。当分の間、羊子が来ているので、羊子が帰った後に開くことにした。
 歓迎会、送別会は午後8時30分頃終了し、それぞれ帰宅した。私達も諸江さんに送られる。



歓迎会は中華レストランで。