鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

常夏の国にて<1>

マレーシア・クアラルンプール滞在記(2013年3月13日〜6月4日)<1>
2013年3月14日「滞在に向けて」




 マレーシアのクアラルンプール空港に到着したとき、空は曇天であった。かなり蒸し暑く感じる。常夏の国マレーシアに来たのであるから当然であるが、改めて暑い国であることを実感する。予定より30分遅れて7時10分頃の到着である。昨日、羽田空港を午後11時55分に出立の予定であったが、機材を積み込むとかで30分くらい遅れて出立する。出発にあたり、例によって我が家の子供達が見送りに来てくれた。スペインに赴く時は荷物制限の23キロを守ってまとめたので、旅行カバンと機内持ち込みのカバンも車のトランクに入れることができ、しかも乗車5人が可能であった。今回は一人40キロも持つことができるので、旅行カバンも大きいものにする。そのため車のトランクには大きな旅行カバンが二つは入らないのである。それで一つは後部座席に乗せたので、人間が乗ることができない。その為、星子と弥生さんは京急線羽田空港に向かったのである。まず電車組を百合子が六浦駅まで送り、百合子が家に戻ってから我々も出発したのである。羽田空港には午後7時30分頃に着く。エアアジア航空のフライトであり、8時55分からのチェックインということであった。まだチェックインができないので食事を摂ることにする。羽田空港には江戸村食品街があり、飛行機を利用しなくても、わざわざ食事処を求めてやってくるという。我々は羽田食堂でいただく。食事が終わる頃はチェックインが近づいており、カウンターに行く。何と、もはや大勢の人が並んでいたのである。こんなに多くの人が一つの飛行機に乗るのかと、ちょっと心配にもなる。ようやくチェックインとなり、心配していた荷物の重量もクリアできた。二人分で80.6キロであったが、多めに見てくれたのであった。もはや9時40分 を過ぎていたので、搭乗手続きに入る。ということは見送りに来てくれた子供たちとも、ここでお別れである。荷物検査、身体検査、更に出国手続きをして搭乗ゲートに向かう。まだ2時間もあると思っていたが、ゲート入口に着いたときは10時30分頃であった。国際線はゲート入口からバスで飛行機まで行く。スペイン行きのときは、連れ合いのスミさんは往復車椅子であった。乗り換えもあるし、やはり腰を痛めているスミさんには必要であった。今回は乗り換えもなく、フライトも8時間弱であるので、車椅子は依頼しなかった。スミさんも頑張って歩いたと思う。杖をつきながら搭乗したので、乗務員が降りる時には車椅子を勧めてくれたのである。チェックインのときにも車椅子について尋ねたが、4時間前に申し込まなければならなかったのである。だから頑張って歩いたのであるが、乗務員が車椅子を勧めてくれたことには感謝している。タラップは頑張って降り、後は車椅子に乗せられ、入国手続き、旅行カバンの受け取り、そして出口まで、若い女性の係員が車椅子を押してくれたのであった。お礼にチップを渡そうとしたが受け取らなかった。スペインに行った時は、乗継の空港でも、到着の空港でも、車椅子を押してくれた人にはチップを渡している。皆さんは喜んで受け取っている。




羽田空港にて。マレーシアのクアラルンプールに向かう夫婦。
フライトは3月13日午後11時55分である。



見送りに来てくれた子供達。




 飛行場にはクアラルンプール日本語キリスト者集会のメンバーであり、役員をされている諸江修さんが迎えに来てくださっていた。私達の大きな旅行カバン二つが車のトランクに入ってしまうほどの車であり、後の小さい荷物は助手席に乗せてくれる。空港から1時間を要して牧師館に到着。牧師館は23階建てのコンドミニアムの9階にある。見上げるような高層マンションがにょきにょきと建ちならんでいる。牧師館の玄関も三つの鍵を開けて入るという警戒ぶりである。コンドミニアムに着いたとき、諸江さんが管理人の近藤さんを呼んでくれた。管理人さんも一緒に牧師館に行き、いろいろと説明してくれた。まずしなければならないことは、持参したパソコンにインターネットをつなげることであった。いろいろ試みたがつながらなかった。牧師の書斎にはプリンターがあったが、ソフトがなかったので、その時点では使用できない。インターネットにしてもプリンターにしても、後で見直すことにして管理人の近藤さんは帰られた。教会の諸江さんも会社から電話が入り帰られた。その前に謝儀として、一ヶ月分のマレーシアリンギットでお渡しくださった。誠にありがたくいただいたのであった。




牧師館があるコンドミニアム。牧師館は23階建ての9階にある。